せっかく咲いたのに寒い日の続く東京です。「春は選抜から」でも見るか。




2004ソスN3ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2332004

 春の山のうしろから烟が出だした

                           尾崎放哉

語は「春の山」。晴天好日。ぼおっと霞んだような春の山の「うしろから」、「烟(けむり)」がこれまたぼおっと立ち昇りはじめた。ただそれだけの写生的描写だが、どことなくユーモラスで、さもありなんと頷ける。春の山のたたずまいをよく知っていなければ、なかなかこういう句は出てこないだろう。ところで放哉の句は、ご存知のように「自由律俳句」と呼ばれてきた。いわゆる「五七五」の音律から外れた句だ。若き日の放哉は「護岸荒るる波に乏しくなりし花」などの有季定型句を作っていたのだが、大学卒業後間もなく自由律に転じている。むろん、内的な必然性があってのことだろう。自由律の論客でもあった荻原井泉水は、その必然性について次のように書いている。「われわれは旧来の俳句において俳句という既成の型を与えられていた。それに当てはめて句作していたので、俳句という詩のリズムをさながらに表現することが許されなかった。それは俳句の形式に捉すぎてその精神を逸していたのであること、在来の俳句に付随している約束や形式は俳句が詩としての自覚を得るまでの揺籃に過ぎない。世間の俳人はその約束を本性と混同し、形式を内質と誤解している」。この意見はいまなお通用するであろうが、私が昔から気になっているのは、自由律と言いながらも、ほとんどの自由律句に音律的な自由が感じられない点だ。井泉水も放哉も山頭火も、そしておびただしく書かれたプロレタリア俳句も、読めば読むほどに、みんなリズムが似ている。そこには、「もう一つの定型」としか言いようのない音律に縛られた不自由さが感じられてならないのだ。私流には、これらはすべて「訥弁的定型句」ということになる。最近注目を集めた住宅顕信にしても、まったく同じ音律で書いている。どうして、こんなことになってしまったのだろうか。俳句界七不思議の一つに入れておきたい。『尾崎放哉句集』(1997)所収。(清水哲男)


March 2232004

 春愁を四角に詰めて電車かな

                           津田このみ

今の鳥インフルエンザ騒動の映像で、ぎゅう詰めにされて飼われている鶏たちを見て、哀れと思った人は少なくないだろう。では、人間は彼らよりも哀れではないのかといえば、そうはいかない。ここに心ある鶏がいるとして、満員電車にぎゅう詰めになった人間どもを眺めたとすれば、やはり同じように哀れをもよおすはずである。しかも現在の養鶏法の歴史はたかだか半世紀なのであり、満員電車のそれよりもはるかに短いのだ。ぎゅう詰めの歴史は、人間のほうがだんぜん先行してきた。電車を開発した目的は、いちどきに大勢の人間の労働力を一定の場所に集結することにあった。べつに、観光や物見遊山などのために作った乗り物ではない。それは現今の鶏舎と同じように、ひたすら生産効率のアップに資するための設備なのである。だから電車にとっては、どんな人間もみな同価値なのであって、乗っている人間個々の思想信条や才能才質、感性感情などには頓着することはない。とにかく、つつがなく大量の労働力をA地点からB地点まで運ぶことによって、役割と任務はめでたく完了する理屈だ。掲句は、そんな電車の論理を踏まえたうえで、人間を労働とはまた別の視点から捉えて詠んでいる。「春愁」というつかみどころのない個々人ばらばらな心情を、電車がまとめて「四角に詰めて」走っている姿は、当の電車のあずかり知らぬところだから、句に可笑しみが感じられるのだ。朝夕と、今日も満員電車は元気に走りつづけるだろう。その満員電車に乗り込んで、この句を思い出す人がいるとすれば、句にとっては最良の環境で最良の読者を得たことになるのだと思う。『月ひとしずく』(1999)所収。(清水哲男)


March 2132004

 観光の玉のよそほひ春日傘

                           竹下竹人

田蛇笏が主宰誌「雲母」において、「これはまた手練れたる新鋭抜群の眩さである」と激賞した句だ。句意については明瞭なので、とくに解説は施されていない。だが私は、なんだか妙な句だなあと何度か読み直しては考え込んでしまった。さらりと解釈すれば、観光旅行中の「玉のよそほひ」をした女性に、ちょっと小粋な「春日傘」を持たせて、さながら一幅の絵から抜け出たような美女の讃ということになろうか。考え込んだのは、女性は観光旅行の途次なのだから、着飾りはしても「玉のよそほひ」とは、かなりの形容過多、大袈裟にすぎると感じたからだった。「金襴緞子の帯しめながら」ほどではないにしても、身軽さの必要な観光客にしてはどうにも印象が重すぎてかなわない。どこが「抜群の眩さ」なのかと、しばしまじまじと句を眺めることになったのである。蛇笏の鑑賞は戦後のものだから、昔のどこぞのお姫様あたりを詠んだ句でないことは、それこそ明瞭だ。しかし、どう読んでみてもしっくりと来ない。腑に落ちない。よほど採り上げるのを止めようかとしたときに、ひょっとしたらという思いから、手元の国語の辞書に手が伸びた。「観光」という言葉には、また別な意味があるのかもしれないと、念のために当該項目を引いてみたのである。とたんに「あっ」と声を上げそうになった。あったのだ、まったく別の意味が……。すなわち「観光」とは「観光繻子(かんこうじゅす)」の略であり、「絹・綿を織りまぜた繻子で、光沢をつけて唐繻子を模したもの。群馬県桐生の名産。東京浅草の観光社が委託販売をしたところからの名」なのだそうだ。白秋に「金の入り日に繻子の黒」という有名な詩があるが、あの繻子の一種というわけだった。となれば、句はすとんと腑に落ちる。なるほど、眩いばかりである。わかってみれば馬鹿みたいな話だけれど、俳句を読むときにはたまにこうしたことが起きる。やれやれ、である。飯田蛇笏『続・現代俳句の批判と鑑賞』(1954)所載。(清水哲男)




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