May 042004
世の隅の闇に舌出す烏貝
北 光星
季語は「烏貝」で春。淡水産の二枚貝で、生長すると黒くなるから「カラスガイ」と言う。その真っ黒な貝が「闇」に沈んで、ニタリと舌を出している。人間からすると「世の隅」に忘れられ、いじけているようにも写るのだが、どっこい実はそうではなくて、ずる賢くもしたたかに生きているぞというわけだ。人の目に見えないところで舌を出している様子を想像すると、ぞっとするような不気味さがある。このことはまた、人間社会のなかでも起きていることだろう。ところでどんな歳時記にも、烏貝は食べると泥臭くて不味いと書いてある。生まれて初めてパリに行ったときに「ムール貝」が山ほど出てきて結構美味かったが、あれは「烏貝」とは違う種類なのだろうか。そのときには、たしか日本で言う「烏貝」だと教えられたような記憶があるのだが……。岡本かの子にも、こんな紀行文がある。「日本は四方(しほう)海に囲まれているから海の幸(さち)は利用し尽している筈だが、たった一つフランスに負けていることがある。それは烏貝がフランス程普遍的な食物になっていないことだ。日本では海水浴場の岩角にこの烏貝が群っていて、うっかり踏付(ふんづ)けて足の裏を切らないよう用心しなければならない。あんなに沢山ある貝が食べられないものかと子供の時によく考えたことだが、それがフランスへ行って、始めて子供の時の不審を解決することが出来た。烏貝はフランス語でムールと云う。このムールのスープは冬の夜など夜更(よふか)しして少し空服(くうふく)を感じた時食べると一等いい」。ただ、海(水浴場)にいるとあるから、淡水産ではない。となると、かの子もパリで私に教えてくれた人と同様に、別種の貝と混同していたのだろうか。読者諸兄姉のご教示を仰ぎたい。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)
October 142011
石に木に父の顔ある秋の暮
北 光星
石に木に風に空に雲に死者の顔が映る。花鳥風月の中に死者を見る。ここまでは諷詠的情緒だ。ナイフやフォークや一枚の皿や一本のネジやボルトや切れそうな裸電球にも死んだ父は宿る。どこにでも死者の記憶のあるものや場所に死者は蘇る。死者と直接関係のない対象でもそれを見たとき言ったとき思い出せば死者は現れる。『天道』(1998)所収。(今井 聖)
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