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2004ソスN5ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1152004

 無聊の午後のラジオが感じいる軽雷

                           山高圭祐

語は「軽雷(けいらい)」で夏。あまり聞かない言葉だが、各種歳時記の「雷」の項には載っている。さして雷鳴の強くない雷のことだろう。無聊(ぶりょう)をかこつ作者は、何もすることがないのでラジオをつけっぱなしにしている。聞きたいからではなく、ただなんとなくスイッチを入れたのだ。聞くともなく聞いていると、そのラジオがときどきジジッザザッと雑音を発する。そのたびに作者は「はてな」とばかりにラジオに目をやっていたが、そのうちに気がついた。きっとどこかで微弱な雷が発生しているに違いないと。それがどうしたというわけでもないが、けだるい夏の午後、ラジオだけが律儀に外界に反応している図は、なおさらに作者の倦怠感を増幅させたことだろう。1959年(昭和三十四年)の作だから、このラジオは真空管方式のものだと思われる。トランジスタ方式の小型ラジオも普及しつつはあったけれど、まだ高価だった。一万円近くしていたのではなかろうか。学生などの若者にはもとより、一般サラリーマンにも高嶺の花であった。当時私は学生だったが、周辺に持っている奴は一人もいなかった。したがって、当時の文芸などでラジオとあれば、まず真空管方式のものと思って間違いはない。真空管についてはよく知らないが、感度が敏感というよりも、受信がアバウトで、しかも音の波形が崩れやすかったのではあるまいか。だから、ちょっとした環境の変動で、すぐに雑音を発したのだろうと思う。そこへいくとトランジスタは緻密に受信し、増幅しても波形は崩さない。まさに革命的な発明であり、発明者がノーベル賞を受けたのも当然だ。こうしたことを考え合わせると、掲句は真空管ラジオを知らない世代には、厳密な意味では解釈不能な作品と言ってもよさそうである。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)


May 1052004

 ビール麦と聞けば一入麦の秋

                           酒井康正

ちめん、黄金色に染まった麦畑。作者はビール好きなのだろう。実っているのが「ビール麦」だと聞き知って、なおさらにその美しさが「一入(ひとしお)」目に沁みている。いや、既に喉元あたりに沁みているのかもしれない。と、これは冗談だが、私のようなビール党にはよくわかるし、嬉しい句だ。俗に言うビール麦は大麦の種類の一つで、通常は「二条大麦」という品種を指す。麦飯などに使う「六条大麦」よりも粒が大きく揃っていて発芽力も強いので、ビールの原料には適しているそうだ。これをモルツにしてからホップを加えて醸造するわけだ。ただ残念なことに、私はビール麦の畑を見たことがない。見ただけで小麦と大麦との識別がつくように、ビール麦かどうかはすぐにわかるものなのだろうか。調べてみると、二条大麦の大産地は北九州地方だという。ちょうどこの週末に久留米市に出かける用事があるので見てきたいが、この地方の二条大麦は醸造用ではない(家畜飼料用など)という資料もあって、このあたりは地元の人に聞いてみなければと思う。相棒のホップについては数年前に遠野市(岩手県)で見ることができ、それこそ「一入」目に沁みたのだった。ビールの本場ドイツのホップ畑の広大さは聞いているが、ビール麦畑もさぞや壮観だろうな。書いているうちに、ミュンヘンあたりの古い天井の高いビャホールで、楽士たちに「リリー・マルレーン」でもリクエストして一杯やりたくなってきた。「ゲルマン攻めるにゃ刃物はいらぬ、ビールがたっぷりあればいい」。イカン、イカン。『百鳥俳句選集・第1集』(2004)所載。(清水哲男)


May 0952004

 苺ジャム男子はこれを食ふ可らず

                           竹下しづの女

語は「苺」。春の季語と思っている人も多いだろうが、また実際に春先から出回るが、本来の苺の旬は夏だ。冬苺を除いて、野生のものはすべて夏に熟成する。詠まれたのは、昭和十年代初期と思われる。日中戦争が拡大しつつあった時期であり、軍国日本が大いに称揚された世相下であった。すなわち、日本男子たるものは軟弱であってはならぬと戒められた時代の句だ。「苺ジャム」のように甘くてべとべとしたものを好むようでは、ロクな男にはならないぞ。そう作者は警告しているわけだが、夫が急逝したために、女手ひとつで二男三女を育て上げた作者の気概は、おそらく一般男子に向いていたのではなく、息子たちにこそ向けられていたのだろう。この姿勢を「軍国の母」の一典型と見るのはみやすいが、当時の世相の中で、息子たちが人並み以上の立派な日本男子になってほしいと鼓舞する気持ちには、打たれるものがある。何かにつけて、父親がいないせいだと後ろ指などさされたくはない。そのためには、日頃の立居振る舞いから衣食住生活にいたるまで、おさおさ怠りのないようにと、母は二人を叱咤するのである。愚かだと、誰がこの明治の母を嗤えるだろうか。それはそれとして、総じて男は辛党であり女は甘党であるという迷信が、いまだに生きつづけているというのも不思議な話だ。男がひとりで甘味屋に入ると怪訝な顔をされるし、女ひとりが居酒屋で一杯やるのには勇気がいりそうだ。私自身は辛党に分類されるはずだけれど、甘いものが嫌いなわけじゃない。大学に入ったころ保田與重郎の息子と友だちになり、かの日本浪漫派の主軸邸で汁粉食い大会をやらかしたことを思い出した。しかし、以後はだんだんと世間体をはばかりはじめて、いつしか諾々と迷信に従ってしまった結果の辛党であるようだ。この主体性無き姿勢をこそ、私の常識では軟弱と言うしかないのだが。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)




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