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May 1252004

 走り梅雨ホテルの朝餉玉子焼

                           馬渕結子

の週末、久留米(福岡県)に出かける。気になるので週間天気予報を見てみると、明日あたりからずうっと福岡地方には曇りと雨のマークが並んでいる。北九州の梅雨入りは、平年だと来月初旬なので、明日からの天候不良は「走り梅雨」と言ってよいだろう。いまどきから本格的な梅雨入りまでの旅は、これだから困る。日取りが近づかないと、なかなか天気が読めないのだ。五月なので晴天薫風を期待しているだけに、がっかりすることも多い。しかし、旅程は変えられない。ま、雨男だから仕方がないかな……。作者もまた、そんな天候のなかで旅をしている。降っているのか、あるいはいまにも降り出しそうなのか。ホテルで朝食をとりながら、空ばかりを気にしている。雨降りとなると、今日のスケジュールを修正しなければならないのかもしれない。そんなときに、ふっくらと焼き上がった黄金色の「玉子焼」は、なぜか吉兆のように見えるから不思議である。いまにもパアっと日がさしてきそうな、そんな予感を覚えて、作者の気持ちは少しやすらいでいるのだ。むろん気休めにすぎないとはわかっていても、旅の空の下では、普段ならさして気にもとめない玉子焼ひとつにも心を動かされることがある。そして、これも立派な旅情だと言うべきだろう。もしかすると、句の玉子焼は目玉焼なのかもしれないと思った。だとすれば、気休めにはそのほうがより効果的なような気がする。「目玉焼きは太陽である」というタイトルのエッセイが、草森紳一にあったのを思い出した。『勾玉』(2004)所収。(清水哲男)


July 2272004

 ダブルプレーに人生のあり極暑なり

                           馬渕結子

語は「極暑(ごくしょ)」で夏。読んで字のごとし、暑さの極みを言う。また今日22日は二十四気の一つ「大暑(たいしょ)」という日にも当たっており、暦の上でいちばん暑い日とされてきた。年によって「極暑」と「大暑」とは実感的にずれたりするけれど、まさに今年はどんぴしゃり。それこそ、私たちは鮮やかな「ダブルプレー」をくらったようなものである。句は、高校野球を詠んだものだ。私は野球を人生の比喩に使うことを好まないが、それでもたまには掲句のように思わされてしまうことはある。せっかく芽生えかけたチャンスが、ちょっとした失敗から元も子もなくなってしまう。そして、むしろ以前の状態よりも悪くなるのだから始末が悪い。こういうことは、一度ならず体験した。暑さも暑し、泣いても泣ききれない状況には、たしかに人生に通じる何かがある。プロ野球とは違って、明日無き戦いを強いられる高校野球ならではの苦い味である。作者の略歴を見ていたら、唱和二十年九月の項に「東京女専戦災の為中退」と短く記されていた。作者に限らず、当時学業半ばにして学園を去った人々は数知れないほどいただろう。こうなるともう「ダブルプレー」なんてものじゃない。野球的比喩などでは追いつけぬ無念の「人生」を歩んだ人々に、今年もまたあの極暑の日々がめぐってきた。『勾玉』(2004)所収。(清水哲男)




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