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2004ソスN5ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1352004

 泡盛や汚れて老ゆる人の中

                           石塚友二

語は「泡盛(あわもり)」で夏。沖縄特産の焼酎(しょうちゅう)ゆえ「焼酎」に分類。ウィスキーやブランデーと同じ蒸留酒だ。泡盛の名は、粟(あわ)でつくったとする説、醸造するときに泡が盛り上がったからとする説、杯に盛り上がるからとする説、また泡盛の強さを計るのに、水を混ぜて泡のたたなくなる水量で計ったことからとする説など、いろいろある。作者は、一人で静かに飲んでいるのだろう。酒場でもよし、家庭でもよし。飲みながら、つくづくと「オレも年をとったものだ」と慨嘆している。仲間と泡盛をあおって騒いだ若き日々や、いまいずこ。思い出せば、しかしあの頃は純真だった。純情だった。それが「人の中」で揉まれ、あくせくと過ごしているうちに、いつしか心ならずも「汚れて」しまった。「老ゆる」とは、年齢を重ねるとは汚れていくことなのだ。ゆったりした酔い心地のなかで、作者はおのれの老いを噛みしめている。ひとり泣きたいようなな気分なのだが、一方では、そんな自嘲の心持ちをどこか楽しんでいるようにも写る。素面のときの自嘲ではないから、自嘲とはいっても、どこかで自分を少しだけ甘やかしている。被虐の喜びとまではいかないけれども、掲句には何かそこに通じる恰好の良さがある。私には、そう感じられた。でも、決して意地の悪い読み方だとは思わない。むしろ、好感を持つからこその解釈である。自嘲にせよ、自分の老いを言う人には、まだ「人の中」での色気を失ってはいない。心底老いた人ならば、もはや表現などはしなくなるだろう。それくらいのことが、やっとわかりかけてくる年齢に、私は差し掛かってきたようである。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


May 1252004

 走り梅雨ホテルの朝餉玉子焼

                           馬渕結子

の週末、久留米(福岡県)に出かける。気になるので週間天気予報を見てみると、明日あたりからずうっと福岡地方には曇りと雨のマークが並んでいる。北九州の梅雨入りは、平年だと来月初旬なので、明日からの天候不良は「走り梅雨」と言ってよいだろう。いまどきから本格的な梅雨入りまでの旅は、これだから困る。日取りが近づかないと、なかなか天気が読めないのだ。五月なので晴天薫風を期待しているだけに、がっかりすることも多い。しかし、旅程は変えられない。ま、雨男だから仕方がないかな……。作者もまた、そんな天候のなかで旅をしている。降っているのか、あるいはいまにも降り出しそうなのか。ホテルで朝食をとりながら、空ばかりを気にしている。雨降りとなると、今日のスケジュールを修正しなければならないのかもしれない。そんなときに、ふっくらと焼き上がった黄金色の「玉子焼」は、なぜか吉兆のように見えるから不思議である。いまにもパアっと日がさしてきそうな、そんな予感を覚えて、作者の気持ちは少しやすらいでいるのだ。むろん気休めにすぎないとはわかっていても、旅の空の下では、普段ならさして気にもとめない玉子焼ひとつにも心を動かされることがある。そして、これも立派な旅情だと言うべきだろう。もしかすると、句の玉子焼は目玉焼なのかもしれないと思った。だとすれば、気休めにはそのほうがより効果的なような気がする。「目玉焼きは太陽である」というタイトルのエッセイが、草森紳一にあったのを思い出した。『勾玉』(2004)所収。(清水哲男)


May 1152004

 無聊の午後のラジオが感じいる軽雷

                           山高圭祐

語は「軽雷(けいらい)」で夏。あまり聞かない言葉だが、各種歳時記の「雷」の項には載っている。さして雷鳴の強くない雷のことだろう。無聊(ぶりょう)をかこつ作者は、何もすることがないのでラジオをつけっぱなしにしている。聞きたいからではなく、ただなんとなくスイッチを入れたのだ。聞くともなく聞いていると、そのラジオがときどきジジッザザッと雑音を発する。そのたびに作者は「はてな」とばかりにラジオに目をやっていたが、そのうちに気がついた。きっとどこかで微弱な雷が発生しているに違いないと。それがどうしたというわけでもないが、けだるい夏の午後、ラジオだけが律儀に外界に反応している図は、なおさらに作者の倦怠感を増幅させたことだろう。1959年(昭和三十四年)の作だから、このラジオは真空管方式のものだと思われる。トランジスタ方式の小型ラジオも普及しつつはあったけれど、まだ高価だった。一万円近くしていたのではなかろうか。学生などの若者にはもとより、一般サラリーマンにも高嶺の花であった。当時私は学生だったが、周辺に持っている奴は一人もいなかった。したがって、当時の文芸などでラジオとあれば、まず真空管方式のものと思って間違いはない。真空管についてはよく知らないが、感度が敏感というよりも、受信がアバウトで、しかも音の波形が崩れやすかったのではあるまいか。だから、ちょっとした環境の変動で、すぐに雑音を発したのだろうと思う。そこへいくとトランジスタは緻密に受信し、増幅しても波形は崩さない。まさに革命的な発明であり、発明者がノーベル賞を受けたのも当然だ。こうしたことを考え合わせると、掲句は真空管ラジオを知らない世代には、厳密な意味では解釈不能な作品と言ってもよさそうである。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)




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