May 212004
子供地をしかと指しをり蚯蚓這ひ
高浜虚子
季語は「蚯蚓(みみず)」で夏。「子供」とあるが、まだ物心がついたかつかないかくらいの幼児だろう。値を這う蚯蚓を見つけて、真剣な表情で指差している。不思議そうにしたり、気持ち悪がったりしているのではない。かといって、発見を誰かに告げようとしているのでもない。ただひたすらに「しかと」、地に動く物を指差している。強いて言えば、自分の発見を自分で「しかと」確認しているのだ。幼児はしばしばこういう所作をして、大人を微笑させたり苦笑させる。何を真剣に見つめているのかと思えば、大人の分別ではとるに足らぬものだったりする。幼児には、池の鯉も地の蚯蚓やトカゲも等価なのだから。そこがまた、なんとも可愛らしく思えるところだ。こういう句は、想像では詠めない。しかし、実際に目撃したとしても、なかなか詠めるものではないだろう。そこはさすがに虚子だけのことはあり、幼児の幼児たる所以の根っ子のところを見事に写生してみせている。しかもこの写生は、絵画的なスケッチやスナップ写真などでは写せないところまでを写し込んでいて、舌を巻く。絵画や写真では、どうやっても「しかと」の感じが出せそうもないからだ。幼児なりの「しかと」の気合いは、外面的な様子には現れにくい。その場にいて、ようやくわかる態のものである。それを虚子は、それこそしっかりと「しかと」の措辞に託した。いや、なんとも上手いものである。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)
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