雨音も変わった。「ピッチピッチチャップチャップランランラン」よ、今いずこ。




2004ソスN5ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 3052004

 交響曲運命の黴拭きにけり

                           野見山朱鳥

語は「黴(かび)」で夏。決して大袈裟ではなく、掲句をパッと理解できる人は、国民の半分もいないだろう。俳句もまた、年をとる。年を重ねるにつれて、詠まれた事象や事項が古くなり、忘れられ、新しい世代の理解が得られなくなる。淋しいことではあるが、仕方のないことでもある。「交響曲運命」はベートーベンの曲だが、ここではその曲の入ったレコードのことを言っている。それも、蓄音機で聴くSP(Standard Play)盤だ。SP盤の材質にはカーボンに混ぜて貝殻虫の分泌液が使われていたので、梅雨期にはよく黴が生えたし、ダニの温床になることすらあったという。だからこうして黴を拭う必要があったわけで、たまたまそれが「運命」という曲であっただけに、作者はさながらおのが運命を念入りに拭ったような晴朗の心持ちを覚えたのだろう。いまのCDとは違って、SP盤は割れやすかったし、交響曲などの長い曲は何枚組にもなっていた。それらを一枚いちまい拭い陰干しにしたりと、実に丁寧に取り扱って聴いた。だから聴く時には、まさに傾聴というにふさわしい聴き方をしていたのである。音楽好きの私の先輩などが、例外なく交響曲のディテールに詳しいのも、このためだろう。SP盤がLP(Long Play)盤にほぼ取って代わられたのは、1960年(唱和三十五年)と言われている。とすれば、既に四十数年前のことだ。多くの人に、掲句がわからなくても無理はない。なお、この句については一度書いたことがあるが、少し感想が動いたので再掲することにした。『天満』(1954)所収。(清水哲男)


May 2952004

 外郎たべる五月のゆきどまり

                           服部智恵子

古屋名物「外郎(ういろう)」。名前の由来を、老舗「青柳」のHPより引いておく。「およそ600年前の中国が元の時代、礼部員外郎(れいほうえんういろう)という薬の調達をする官職にあった陳宗敬(自ら陳外郎と称した)が、日本に帰化し、せきや痰に効く薬を伝えた。その子宗奇は室町幕府三代将軍の足利義満に招かれこの家伝の薬を作り「透頂香」あるいは「ういろう」と呼んだ。また、客を接待するためにお菓子の製法も伝えたが、それが黒色・四角で「透頂香」と似ていたところからお菓子の方も「ういろう」と呼ばれるようになりました」。作者は、このもっちりした歯触りの菓子を食べながら、どういう事情からかはわからないが、五月も末になってにっちもさっちも行かなくなった状況に憮然としている。一年十二ヶ月を道に例えれば、いちばん「ゆきどまり」を感じるのは、年末の十二月か決算期の三月あたりが一般的だろう。そこへいくと、五月はすうっと通り抜けやすい感じが強い。だからこそ作者も憮然としているのであるが、しかし外郎を食べているくらいだから、事態はそんなに深刻ではないのかもしれない。歯切れという意味ではいささかもたつく外郎と、清々しい月のイメージからは外れた閉塞感との取り合わせが、どことなく滑稽にも思えてくる。もっともこの句を、あまり理詰めに散文的にパラフレーズすると、かえって味が落ちるような気もする。作者は実景や心情を帰納的に表現したのではなくて、自分のなかで整理のつかない心持ちを「たとえば、こんな感じかなあ」と演繹的に詠んでみたのだと解するほうが面白そうだ。そういう詠み方も、無論あってよい。『褻と晴と』(2003)所収。(清水哲男)


May 2852004

 東伯林の新樹下を人近づき来

                           殿村菟絲子

語は「新樹(しんじゅ)」で夏。「新緑」が主として若葉をさすのに対し、木立をさす。崩壊して十五年になる伯林(ベルリン)の壁は、もう伝説化していると言ってよいだろう。句は、その伝説の中で詠まれた。前書きに「西伯林、東西独乙を劃す壁肌寒し」とある。ポツダム広場の物見台あたりから、壁の向こう側を眺めたのだろう。道を歩いていては、新樹はともかく「人」は見えない。眺めやれば、こちら側と似たような光景が広がっていて、ゆっくりと人が近づいてくるのも見える。何の変哲もない情景だが、新樹や人は指呼の間にあっても、こちらからあちらまでの政治的な距離はほとんど無限に遠いのである。こういうときには壁の理不尽を思うよりも、頭の中が白くなる感じがするものだ。経緯は省略するが、私は一度南北朝線を分つ板門店に立ったことがあるので、作者の気持ちがよくわかるような気がする。よく南北会談に使われる会議場が境界線上にあり、室内はマイクのコードで室外も黒いラインで、南北が分たれていた。室内の南北移動は自由だったが、室外のラインを一歩でもまたげば不法入国だ。両側には鼻面をつきあわさんばかりにして、完全武装の兵士たちが見張っている。凄い緊張感を覚えたと同時に、白日夢でも見ているような気分だった。作者もまた、そんな気持ちだったのだと思う。美しい自然の中を、何事もないように人がこちらに向かって歩いてくる……。眼前の現実ではありながら、しかしそれは夢に等しいのである。『牡丹』(1967)所収。(清水哲男)




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