新幹線や駅の全面禁煙、9学会がJRに要望書。車の排ガスには何も言わないな。




2004ソスN6ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0862004

 恍惚と蟻に食はれて家斃る

                           冨田拓也

語は「蟻」で夏。常識的にはシロアリだろうが、イメージ主体の句だから、むしろ普通の蟻と読んだほうが面白いかもしれない。食われて斃(たお)れたのは、家だ。だが、斃れたのは実は人間でもある。「恍惚として」の修辞が、そのことを告げている。暗いユーモア、ないしは自虐の悦楽とでも言えばよいのか。斃れることがわかってはいても、進行していく愉楽の誘惑を断ちきれない。そういうところが、私たち人間には、確かにあるのだ。傍からすればみじめな結果と見えようが、当人にはいわば豪奢な滅びの喜びと思える一瞬が……。そうした黒い感受性の上に想像を広げるのは自由詩の得意とするところで、俳句ではなかなかに難しい。俳句が短いこともあるけれど、もう一つ、俳句は元来が座の文芸だからである。たとえひとりで家に籠って詠むとしても、根本的に座と切れるわけにはいかないのだ。このときに、座は体面を重んじる。体面と言っても、いわゆる世間体とはちょっと違う。世間体も含むが、座を形成している社会的なコンセンサスを崩さないところに、体面尊重の必要が生じてくるということだ。したがって、ひとり恍惚としていては体面から外れてしまう。つまり、座を崩すことになる。その意味で、掲句は俳句としてきわめて危うい場所に立っていると読めた。表面的には体面を保っているのだが、真意は単なる家の倒壊を越えた、更に先の地点に置かれているとしか考えられないからだ。その地点は、明らかに体面などどうでもよろしい場所だからである。作者は二十四歳。第一回芝不器男新人賞受賞句集『青空を欺くために雨は降る』(2004)所収。(清水哲男)


June 0762004

 薔薇園に外来講師農学部

                           清水貴久彦

語は「薔薇」で夏。文字面を見ているだけで、気持ちが明るくなる。薔薇園は、農学部の実習のためにあるのだろう。他の学部であれば教室に迎えるところを、そこは農学部だから、実習園に迎えたわけだ。即「作品」を見てもらうということで、学生たちも緊張しているが、即「評価」を求められる格好になった講師の側も緊張している。他流試合と言えば大袈裟かもしれないが、学生と外来講師との関係にはそのようなところがある。とかく単調になりがちな日々の授業だけに、たまさかのこの緊張感は心地よい。句にそんなことは書いてないけれども、実習園の雰囲気はそういうことであり、通りがかりに見かけて微笑している作者の心持ちはよく理解できる。いつもとは違う光りを帯びた薔薇園が、清々しくそこにあった。なお、作者は岐阜大学医学部教授。外来講師で思い出したが、私の学生時代に、木庭一郎明大教授を迎えたことがある。筆名は中村光夫。著名な文芸評論家として知っていたし、ミーハー心も手伝って、緊張しつつもわくわくしながら授業に出た。が、結果は失礼ながら失望落胆。失望は、いきなり木庭先生が出欠をとりはじめたこと。当時出欠をとる先生は稀だったから、子供扱いを受けたようで不愉快だった。落胆は、講義のテーマが二葉亭四迷はよいとして、先生の講義というのが同名の自著をただ棒読みにするだけだったこと。運の悪いことに、私は既にその本を読んでしまっていた。毎回出欠をとられながら、既知の中身を棒読みされたのではたまらない。さすがに二、三回で、閉口して止めてしまった。考えようによっては、ずいぶんと呑気で良き時代だったとも言えるのだけれど。『微苦笑』(2000)所収。(清水哲男)


June 0662004

 水郷の水の暗さも梅雨に入る

                           井沢正江

語は「梅雨に入る(入梅)」で夏。「水郷」は、大河川の中・下流の低湿な三角州地域で、水路網が発達し、舟による交通が発達している地域。利根川、信濃川、木曽川、筑後川などの中・下流地方、作者はたしか関東の人だから、潮来あたりの光景だろうか。晴れていれば水面に光が反射して明るい地方だけに、今日は水も暗く、よけいに周辺も暗く感じられると言うのだ。いかにも入梅らしい雰囲気を大きく捉えていて、見事である。ただし、句の情景に雨は降っていない。「えっ、入梅なのに」と訝しく思うむきもあろうが、降っているのならば、わざわざ水の暗さを持ち出すこともないだろう。いまにも雨が来そうだ、という趣きなのである。俳句で「入梅」というときには、多く暦の上でのそれを指すので、実際の降雨とは関係がない。立春から数えて百三十五日目の日のことであり、八十八日目を八十八夜と言うのと同じ数え方だ。ちなみに、今年の暦の上での「入梅」は六月十日にあたっている。なぜ実際に梅雨に入るかどうかもわからないのに暦に設定したのかと言えば、農事上の必要からであった。むろん天気予報などはなかった時代だから、長い雨期に入るのがいつごろからなのか、おおよさの目安を知って、農作業を進める必要があったからである。長雨による水害への備えも、大事な仕事だった。現代では「入梅」イコール「気象的な入梅」とする句も多いが、古い句を読むときには、とくにこの点には注意しなければならない。『合本・俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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