救急病院が近いので頻繁に救急車のサイレンが。人生を終える人も乗っているのだろう。




2004ソスN6ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2962004

 子の傘の紫陽花よりも小さくて

                           田中裕明

語は「紫陽花(あじさい)」で夏。たまに小さい子の傘をそれと意識して見ると、実に小さいものだなあと、あらためて思う。この場合は、作者のお子さんの傘かもしれない。どれくらい小さいのかと言えば、そこらへんの「紫陽花よりも」小さいのである。むろん、咲いている紫陽花のひとかたまりよりも、だ。雨の中を行く子の傘の高さも、だいたい紫陽花のそれと同じくらいだし、この比較はごく自然であり無理がない。単純にして明快である。田中裕明の句はたくさん読んできたが、持ち味を一言で言えば、この単純明快さにこそあると思う。言い換えれば、作句時における作者は、常に言いたいことをはっきりと持っていて、そのために表現の焦点を絞り込んでいるということだ。誰だって、言いたいことがあるから詠むんじゃないの。と思われるかもしれないが、それはそうだとしても、言いたいことの実現のためにフォーカスを絞り込むのは楽な作業ではない。つい周辺のあれこれに目移りがして、そのうちに言いたいことから句がずれてしまう経験は、誰にもあるだろう。そうやってずれてしまった句が、けっこう客観的には良い句に仕上がったりもするのだから厄介だ。自身の本意からずれてしまった句は、いかに佳句のように見えようとも、当人にとっては不本意のままでありつづけるだろう。そんな不本意な句をいくら積み重ねても、表現者失格である。俳句様式の怖さの一つはここにあるのであって、いくらずれても句にはなるし、それらしくもなる。すなわち逆に、言いたいことを俳句で言うのがいかに難しいか。掲句はなんでもない句のようだが、その意味で、俳句様式の甘い罠にとらわれることなく、しっかりと言いたいことを言い切った好例として掲出しておきたい。抒情性も十分だ。『先生から手紙』(2002)所収。(清水哲男)


June 2862004

 志ん生も文楽も間や軒忍

                           藤田湘子

語は「軒忍(のきしのぶ)」で「釣忍(つりしのぶ)」のことだと思うが、京都言葉で軒忍といえば里芋の茎、いわゆる「ずいき」を指す。芋茎を軒に吊るして干したことからだろうか。しかし、句の場合は食べ物だと、それこそ「間(ま)」が抜けてしまう。夏の季語だ。古今亭「志ん生」の五代目は明らかだとして、桂「文楽」は先代の八代目だろう。この人、本当は数えて六代目のはずが、「六」よりも「八」のほうが末広がりで縁起がいいやと勝手に八代目におさまってしまった。で、次を継いだ文楽はしかたなく九代目に。作者は二人の芸の魅力を思い返してみて、むろんいろいろと要因はあるけれど、とどのつまりは「間」に尽きる。他の噺家に抜きん出ていたのは、そこが一番だろうと納得している。目には涼しげな軒忍が写っていて、江戸前の噺家の思い出とよく釣り合う。更に一理屈こねておけば、軒忍は暑中に置くささやかな心理的句読点、すなわち生活の「間」のような役割を果たしているだろう。言わでものことだが、現代人はおおむね早口である。したがって、話し言葉にほとんど「間」というものがない。話すとなると、何かにせっつかれたように、次から次へと言葉を繰り出していないと安心できないのである。かといって、立て板に水の話し方ともまた違う。好調時の黒柳徹子や久米宏のようだったら立て板に水と言えるが、そうではなくて、話す中味とバランスの取れない早さなのだ。この二人には、早口のなかにも中味に釣り合った緩急の「間」というものが、微妙ながらにもちゃんとある(ついでに言えば、古館伊知郎の早口にはそれがあまりない)。「間」とは、話の力点や筋道を指し示す無言の指示言語みたいなものだろう。これを欠いた話し言葉が、その分だけ痩せていくのは当然である。俳誌「鷹」(2004年7月号)所載。(清水哲男)


June 2762004

 今さらに吉川英治明易し

                           大谷朱門

語は「明易し(あけやすし)」で夏、「短夜」に分類。国民的作家というにふさわしい小説家といえば、現代では司馬遼太郎、その前では吉川英治だろう。文学的評価はまちまちだが、読んだことがなくても、たいていの人が名前くらいは知っているという意味では、疑いなく国民的だった。吉川英治が、どんなに偉かったか。それを私は、中学時代の社会科見学で教えられた。級友の兄貴が勤めていた縁で、青梅市(東京)の精興舎という印刷会社に出かけた。精興舎は、岩波文庫を多数手がけていた有名印刷所だ。今でも、あるのかしらん。案内の人が、ひとしきり印刷の仕組みや工程を説明してから、最後にこう言ったのである。「私たちの会社では、諸先生がたの原稿をとても大事にしています。たとえぱ皆さんもお名前を良く知っている小説家、吉川英治先生。先生の原稿を一字一句正しく印刷するのはもちろんですが、たとえ明らかに間違っている文字が書かれていても、その間違った文字を特別にその通りにきちんと作って印刷しているのです」。「へーえ」と私は驚き、「吉川英治って、たいしたもんなんだなあ」と大いに感心した。それほどに偉いというかポピュラーな作家だったから、読書好きの人ならば一冊や二冊は持っていただろう。作者はおそらく気まぐれに古い吉川英治を「今さら」と思いつつも読みはじめたところ、つい引き込まれてしまい、気がついたら白々と明け初めてきたのである。苦笑しながらも「今さら」のように本の表紙を眺め直し、かつての吉川英治への思いを新たにしたことだろう。句に誘われて、吉川英治が読みたくなった。家の中を探してみたが、文庫本で持っていたはずの『新平家物語』は見つからず、かろうじて少年向きの名作『神州天馬侠』だけがあった。ま、これでもいいか。『接吻』(2001)所収。(清水哲男)




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