July 052004
紫蘇畑を背にして父の墓ありぬ
神保千恵子
季語は「紫蘇(しそ)」で夏。「墓がある」などの言い方ではなく「墓ありぬ」だから、作者ははじめて父の墓を訪れたのだ。実家とは遠く離れたところで暮らしているので、葬儀のときはともかく、納骨時には帰れなかったのだろう。ようやく時間が取れたので、父の墓に詣でることにした。どんな墓なのか、どんなところにどんなふうに建てられているのか。あれこれと思いを巡らしながら来てみると、「紫蘇畑を背にして」ひっそりとそれは建っていた。「背にして」はむろん拒絶の姿勢ではなく、単なる位置関係を示している。墓の前にはたとえば海が開けている(ちなみに、作者は新潟県出身)のかもしれず、あるいは何かが展望できるはずなのだが、あえて作者が墓の背景を詠んでいる点に注目しよう。それも名山名刹やモニュメントの類ではなくて、その土地ではさしてめずらしくもないであろう平凡な紫蘇畑である。が、作者の意識には、それがいかにも父に似つかわしく感じられたのだった。生前の父が、紫蘇畑を背にして立っている。そんな光景を作者は何度も目撃していたと言おうか、父がいちばん父らしくある風景として脳裏に刻まれていたにちがいない。どのような人柄だったのかは書かれていないけれど、読者にはその人の人柄までもが伝わってくるような句だと思う。青紫蘇にせよ赤紫蘇にせよ、煙るような独特の風合いの広がりを背に建つ墓の前から、作者はしばし去りがたい思いで佇んでいたことだろう。『あねもね』(1993)所収。(清水哲男)
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