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2004ソスN7ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1472004

 百年の井戸を埋め終へ夕端居

                           寒川雅秋

語は「(夕)端居(はしい)」で夏。俳句に親しんでいる人以外には、もはや死語と言ってもよい言葉だ。「端」は縁先や窓辺を指していて、家の中の暑さを避けて涼気を求めること。扇風機もなかったころ、夕刻や宵の口の「端居」はくつろぎの一刻だった。作者は、代々「百年」あまりも使ってきた井戸を埋め終えて「端居」している。句集によれば、台風で大きく損壊したので、思い切って埋めてしまったようだ。もう使っていない井戸だから、日常的に不自由することはないのだけれど、三代か四代かの生命生活を支えてくれた井戸を潰すのには、やはり相当の覚悟が必要だったろう。埋めるといっても、単に土砂を放り込むのではなく、その前に長年の水神の恩に感謝し災い無きことを祈ってお祓いをしてもらう。そうした手順をきちんと踏み、埋めてくれた作業の人も帰った夕刻、ひとり作者は今朝まであった井戸のあたりを見つめている。ほっとして見つめながらも、しかし一方で、果たしてこれで良かったのかという思いも湧いたに違いない。残しておいたとしても、さして邪魔になるわけでもなかったしと、ちらりと悔いの念が走ったかもしれない。百年の井戸埋めは作者の個人的な体験だとしても、他の体験で、似たような思いをした人は多いだろう。役立たずになったからといって簡単に破棄や放棄できないものは、たくさんある。この思いと「端居」の「端」とが静かに響き合っていて、心に沁みる一句となった。『百年の井戸』(1999)所収。(清水哲男)


July 1372004

 寝ころぶを禁ず寺院の夏座敷

                           田宮真智子

語は「夏座敷」。句を読んで、ふと京都嵐山の禅寺・天龍寺の大方丈を思い出した。四十八畳敷きという広さだ。学生時代に一人で気まぐれに訪ねて、しばし寝ころんでいたことがあった。たしか暑い盛りだったと思うが、観光客の影も見えず、まさに唯我の境。あまりにも気持ちがよかったので、もう一度あそこで寝ころんでみたいと思いつつ、果たせずに四十数年が経ってしまっている。でも、もう駄目だろうなあ。句のように、おそらくは「寝ころぶを禁ず」となっているに違いない。お寺さんも、近年は野暮になってきた。拝観料という名の入場料は取るし、撮影は禁止とくるし、あれしちゃいけない、これもいけないと、こんなのはみな仏の道に反するのではあるまいか。寝ころぶなどは、禁じなくともよいのではないか。何か不都合があるのかと考えてみたが、思い当たらない。寝ころぶどころか昼寝をしたい人がいれば、自由にさせてあげる。それくらいの広い心がなくて、なんの「寺院」だろう。作者は別にいきどおっているわけではないけれど、この寺のたたずまいなどを詠まずに貼り紙を詠んだところに、寺側の現世への俗な執着をうとましく思う気持ちが滲んでいる。せっかくの広々とした「夏座敷」のすずやかな印象も、一枚の貼り紙で減殺されてしまった。現代ならではの皮肉を含んだ句だが、そんな現代が作者とともに恨めしい。『小鳥来る』(2004)所収。(清水哲男)


July 1272004

 百日紅鮮やかヘルンの片眼鏡

                           藤本節子

語は「百日紅(さるすべり)」で夏。これを書いている窓からは、咲き始めた紅い花が見えている。「ヘルン」はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)で、当人は「ハーン」の「ー」の音を嫌い「ヘルン」を好んでいたそうだ。子供の時に左目を失明し、右目も極度の近視だった。写真を見ると右顔しか見せていないが、たぶん左の義眼を苦にしていたのだろう。ところで、句はどんな情景に発想したのだろうか。松江の旧居や記念館には行ったことがないので、百日紅があるのかどうかは知らないが、あるとしたら松江の夏を詠んでそれこそ「鮮やか」だ。だが、もう一つまったく別の情景を想像することも可能である。八雲が没したのは、今からちょうど百年前の九月二十六日。葬儀は市ヶ谷の寺で執り行われ、寺の庭には百日紅が勢いよく咲いていたという証言が残っている。となると、これは追悼句であり、遺品の「片眼鏡」を通してのヘルン哀惜の情が、これまた鮮やかに浮かんでくる。私の好みでは後者に与したいけれど、どうだろうか。ただ、ヘルンは片眼鏡をあまり使わなかったらしい。珍しく使った例を、親しく謦咳に接した廚川白村が書いている。ヘルンは西洋人を嫌い、とくに女性を毛虫のように嫌っていた。ところがある日、彼の講義に、断りもなく西洋の女性教育家たちが参観に来た。「殆ど視力の利かなかつた小泉先生でも、この思ひ掛けない闖入者(イントルウダア)のあるのには氣附かれたものか、滅多に用ゐられない例のあの片眼鏡(モノクル)を出された。それを右の目に当てがつて女どもの方を凝視すること三四秒。また直ちにそれを衣嚢に収めて講義を続けられた。/其瞬間、思ひなしか、先生の面には不快の色が現はれた」。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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