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July 1572004

 片蔭をうなだれてゆくたのしさあり

                           西垣 脩

語は「片蔭(かたかげ)」。夏の日陰のことで、木陰などより町並みや家々の陰を指す。読んだ途端に、あれっと引っかかる句だ。元気な若者には、理解しにくい句境だろう。といって、私もちゃんと理解している自信は無いのだが……。「うなだれてゆく」のが、何故「たのしさ」に通じるのか。あまりの日照りに、作者は片蔭から片蔭へと道を選んで歩いている。もうそれ自体が、日差しに昂然と抗するように歩いている人に比べれば、実際の姿勢はともかく、精神的には「うなだれて」いることになる。そのことを、まず作者は自覚しているのだ。そして、いくら日陰を選って歩いているからといっても、暑さから逃げ切ることなどはできない。大汗をかきながら、トボトボとなお「うなだれて」歩きつづける。で、そのうちに、身体の疲労感がいっそう増してきて、頭がぼおっとなりかけてくる。そのあたりの感覚を「たのしさ」と詠んだのではなかろうか。自虐趣味ともちょっと違うが、そこに通じていく回路のトバグチ付近に、作者は立っているようである。暑さも暑し、へたばりそうになる我が身を引きずるように歩いているうちに、いつしか疲労感が恍惚感と入り交じってきて、一種の隠微な「たのしさ」すら覚えるようになるときがある。あえて平仮名を多用したところに、人の心理と生理との不思議な交錯状態をたどたどしく描こうとする作者の意図を感じた。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 08112007

 急行の速度に入れば枯れふかし

                           西垣 脩

日より立冬。日中は上着を脱ぐほど日差しも強く、冬の寒さにはほど遠いけど、「立冬」と呟いてみればめりはりのきいたその音に身の引き締まる思いがする。都会の駅を出て、郊外へ向かう電車だろうか。まずこの句を電車に乗っている乗客の視点から考えてみると、ゆっくり走っているときにはまばらに見えていた枯れ草や薄が速度をあげることでひとかたまりに流れてゆき、枯れた景色の懐ふかく入ってゆく印象がある。「速度に入れば」の「入る」という言葉は、加速すると同時にその景色の中へ入ってゆく気持ちを表しているようだ。次に小高い場所から電車を見下ろす視点から考えてみると、金色に薄の穂のなびく河原か野原。それともすっかり木の葉を落とした山裾の冬木立へと速度ののった電車はたちまちのうちに走り去り、辺りはもとの静かな枯れ色の景に戻るのだ。都会の中を走る通勤電車では気づかないが、休日に郊外へ向かう電車に乗るとてっぺんの薄くなった木立に、収穫の終わった畑地に、季節が冬へ向かって動き出しているのがわかる。そんな変化のひとつひとつに心を移していると、子供のころ靴を脱いで座席によじのぼり、鼻を車窓に押しつけて景色を眺めていた楽しみがよみがえってくるように思える。『現代俳句全集 第六巻』(1959)所載。(三宅やよい)




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