July 182004
蟻歩む直に平にこの世あり
加藤耕子
季語は「蟻」で夏。私に限らず、昔の子供はよく道端などにしゃがんで蟻の行列を見ていたものだった。「蟻が/蝶の羽をひいて行く/ああ/ヨットのやうだ」(三好達治「土」)。句の「直に」を何と読むのか、少し迷った。垂直の「直」と解して「ちょくに」と読んでみたが、どうも坐りが悪い。そこで「じかに」と読み直してみたら、なんだか急に自分が蟻のようになった感じがしてきて、こちらに決めた。たしかに蟻は、二本足で立って歩く私たちとは違って、ほとんど「直に」地面に身体が触れるようにして歩いている。しかも小さいから、行く手に多少のアップダウンがあろうとも、いま歩いている場所はいつもほぼ「平(たいら)に」感じられるのにちがいない。すなわち、蟻にとっての「この世」とは「直に平に」、どこまでも広がっているということだ。もちろんこれは人間の尺度から見た世界認識ではあるが、こんなアングルから蟻の歩行を捉えた作者は、このときに人間の傲慢不遜を思っていたのだろう。蟻には蟻の厳然たる「この世」があるのであって、そういうことを思ってもみない人間は何様のつもりなのだろうかと……。作者にそこまでの人間糾弾意識はないとしても、ここには小さな生き物に対しての敬虔の念がある。一読ハッとさせられ、やがてしいんとした内省意識に誘われる読者は多いだろう。「俳句研究」(2004年8月号)所載。(清水哲男)
January 302005
夜は水に星の影置き冬の菊
加藤耕子
季語は「冬(の)菊」。当歳時記では、一応「寒菊(かんぎく)」に分類しておく。芭蕉の昔より「寒菊」「冬菊」の句は多いが、冬季は花が少ないので自然にこの花に注目が集まるということだろう。が、掲句のように冬の夜の菊を詠んだものは珍しい。池のほとりに咲いている冬の菊。今宵の空は煌煌と冴え渡り、「水」は「星の影」をくっきりと写している。その星々と白い菊の花が、まったき静寂の中で澄み切っている様が目に浮かぶ。がさがさとせわしない現代人の暮らしの中にも、心を鎮めれば、こうした情景をとらえることができるのだ。その意味で、この句は私をはっとさせた。叙景句、あなどるべからず。ところで、季語「冬菊」を「寒菊」とは別種なので別項目にしている歳時記がある。最も新しいものでは、講談社版『花の歳時記』(2004)がそうだ。それによると「冬菊」は普通種の遅咲きを指し、「寒菊」は「島寒菊(油菊)」を改良した園芸品種を指すのだという。そして「(これらを)混同している歳時記が多い」と書いてある。しかし私は、それはその通りだとしても、あえて「混同」的立場に立っておきたい。なぜならば、多くの歳時記がどうであれ、肝心の俳人たちが明確に「冬菊」と「寒菊」の違いを承知した上で詠んできたとは、とても思えないからなのだ。たとえば芭蕉の有名な「寒菊や粉糠のかゝる臼の端」にしても、この菊は園芸種でないほうがよほど似つかわしいではないか。それに別建て論者が典拠とする『江戸名所花暦』は文政11年(1827年)の刊行だから、むろん芭蕉が知り得たはずもないのである。掲句は俳誌「耕」(2005年2月号)所載。(清水哲男)
July 102015
大瑠璃や岸壁すでに夜明けたる
石野冬青
文字どおり瑠璃色の鮮やかな鳥である。ただしこれはオスの色で、メスはぐっと地味なスズメ色(オリーブ褐色)である。九州以北の低山の林に夏鳥として渡来する。特に渓流に沿った林を好み、飛んでくる虫を空中で捕えては枝にもどる。繁殖期の初夏になると、ピーリーピーリリ、ジジッと、必ず最後にジジッと言う声を響かせて鳴く。この鳴き声の美しさは、コマドリの「ヒンカラカラカラ」、ウグイスの「ホーホケキョー」と共に日本三鳴鳥と讃えられている。驚くほど星の美しい渓に寝付かれぬ夜を明かす。テントから顔を出せば夜も白々と明けて清らかな水の流れが聞こえてくる。うっすらと白んだ岸壁には「ピーリーピーリリ、ジジッ」が鳴き響いている。<瑠璃鳴くる方へ総身傾けぬ>(加藤耕子)では無いが、耳だけでなく全身で聴きたくなる声である。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(藤嶋 務)
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