京都東京間が9時間の時代。通路にも座れず立ちっぱなしで帰省したことも。若かった。




2004ソスN8ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1182004

 灼けそゝぐ日の岩にゐて岳しづか

                           石橋辰之助

語は「灼け(灼く)」で夏。「垂直の散歩者」連作十二句の内、つまり岩登りを詠んだ作品だ。山好きの詩人・正津勉の近著『人はなぜ山を詠うのか』で知った句だが、作者は山を花鳥諷詠的に詠むのではなく、実際に山にアタックしながら詠んでいる。したがって、彼の句には想像などではとても及ばないリアリティがあって力強い。山をやらない私のような読者にも、まざまざと伝わってくる。句は、炎天下の「岳(やま)」の岩肌に取っ付いて一息ついているときの感慨だが、この「しづか」にこそ岩登りの醍醐味の一つがあるのだろうと納得させられた。身体全体を使って、征服すべき対象に全力で挑む。日常の世界ではまずありえないことだし、「しづか」もまた日常のそれとはちがい、全身全霊にしみ込むような静謐感である。汗などはみな噴き出してしまった後の、一種の恍惚の状態と言うこともできようか。同書によれば、作者は俳誌「馬酔木」(昭和七年五月)に次のように書いている。「ロッククライミングの精神は火の如く熱烈であり、ときには氷の如く冷徹であらねばならぬ。どうしてもこの二つを詠ひ出さぬ限り満足な作品とは成し得ぬと思ふ。私は山を詠ふとき山に負けまいとする」。山岳俳句という新境地に賭けた気概が、ひしひしと伝わってくる件りだ。今日、彼の系譜を継ぐ登山家俳人はいるのだろうか。『山行』(1935)所収。(清水哲男)


August 1082004

 餡パンの紙袋提げ夏の果

                           下山光子

語は「夏の果(はて)」。そろそろ、夏もおしまいだ。朝夕には、いくぶんか涼しい風も吹きはじめた。あれほど暑い暑いと呻いていたくせに、いざ終わりとなると少し淋しい気がする。そんな情感が、さらりと詠まれた句だ。なんといっても「餡パンの紙袋」を提げているのが良い。代わりに同じ食べ物でも、茄子や胡瓜などでは荷も句も重くなりすぎるし、かといって水羊羹や何かの菓子の類では焦点がそちらのほうに傾いてしまう。その点餡パンは、主食というには軽すぎるし、お八つというにははなやぎに欠ける。よほどの餡パン好きででもない限り、食べる楽しみのために買うというよりも、ちょっとお腹がすいた時のために求めておくというものだろう。だから、餡パンの紙袋を提げていても、当人にはいわば何の高揚感もない。いくつかの餡パンをがさっと紙袋に入れてもらい、ただ手にぶらぶらさせて歩いているだけである。その気持ちの高ぶりが無いままに、しかし四辺には秋の気配がなんとなく漂いはじめているのであって、このときに作者はさながら紙袋の軽さで夏の終わりを実感したというところか。深い思い入れではないだけに、逆にあっけなく過ぎていく季節への哀感がじわりと伝わってくる。『茜』(2004)所収。(清水哲男)


August 0982004

 原爆忌子供が肌を搏ち合ふ音

                           岸田稚魚

日九日は1945年(昭和二十年)に、六日の広島につづいて長崎に原爆が投下された日だ。あの日から五十九年が過ぎた。「長崎忌」あるいは「浦上忌」とも。この句は、原爆のことはもちろん、まだ誰にも戦争全体の記憶が生々しかったころに詠まれている。したがって、原爆忌ともなると、現在のように原爆の惨禍に象徴的に焦点を当てるだけではなくて、他のもろもろの戦争による悲惨にも同時に具体的に思いが至るのは、ごく普通の感覚であった。声高に戦争反対などを言わずとも、国民のほとんどは「二度とごめんだ」と骨身にしみていた。理屈ではなく実感だった。そんな日常のなかの原爆の日、子供らが喧嘩している様子が聞こえている。兄弟喧嘩だろうか、暑い盛りだから双方は裸同然なのだ。お互いの「肌を搏(う)ち会ふ音」がし、作者はこんな日に選りに選って争いごとかと不機嫌になりかけたが、しかし思い直した。戦争という争いごとのもたらした数々の災厄のことを思えば、むしろ戦争を知らない子供たちの他愛無い喧嘩などは、逆に平和の証ではないのか。生きているからこそ喧嘩もできるのだし、喧嘩もできずに逝ってしまった子供たちの無念は如何ばかりだったか……。と頭を垂れて思い直す作者に、「肌を搏ち合ふ音」はむしろ生き生きと輝いて聞こえはじめたにちがいない。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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