本日はスペシャル版を発行しました。内容は同一ですが玉音放送が聞けます。ここから。




2004ソスN8ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1582004

 堪ふる事いまは暑のみや終戦日

                           及川 貞

争が終わったから平和が訪れたからといって、その日から「堪ふる事」が消滅したわけではない。生き残った者にとっては、戦後こそが苦しかったと言うべきか。平和を謳歌できるような生活基盤などなかったので、多くの人々が忍耐の日々を重ねていった。この句は、戦後も二十年を経てからの作句で、ようよう作者はここまでの心境にたどり着いている。たどり着いてみれば、しかし若さは既に失われ、往時茫々の感もわいてくる。作者の本音を訪ねれば、この暑中、何をまた語るべきの心境であるのかもしれない。『夕焼』(1967)所収。(清水哲男)


August 1482004

 首振りの否定扇風機は愛しも

                           小川双々子

語は「扇風機」で夏。まだしばらくはお世話になる。新着の「地表」でこの句を読んで、つくづくと扇風機の「首振り」を眺めてしまった。なるほど、こちらがどう出ようとも、いつまでも首を降りつづけている。それを「否定」の表現としたのが句のミソで、再びなるほど、ゆっくりではあるが永遠に首を振りつづけるとは、赤ん坊の「いやいや」などを越えて、頑固な否定の意思が感じられる。でも最後には「愛し」いよと作者は言い、いきなりの「否定」という強い調子の言葉にぎくりとした読者に「なあんだ」と思わせる。作者一流の諧謔だから、ここに何か形而上的な意味を求めても無駄だろう。二年ほど前だったか、こんな句もあった。「水打つといふ絶対の後退り」。たしかに、水を打ちながら前進する者はいない。後へ後へと退いていくのみだから、その行為はなるほど「絶対」である。「否定」といい「絶対」といい、こうした高くて強い調子の言葉をさりげない日常の光景や行為に貼り付けてみると、たとえ「なあんだ」の世界でも新鮮に感じられるから、言葉というものは面白い。これからは扇風機を見かけるたびに、掲句を思い出すだろう。となれば、扇風機売り場などはさしずめ「否定地獄」みたいなもので、通りかかったら思わず笑ってしまいそうだ。俳誌「地表」(第435号・2004年6月)所載。(清水哲男)


August 1382004

 耳しいとなられ佳き顔生身魂

                           鈴木寿美子

語は「生身魂(いきみたま)」で秋。平井照敏の季語解説から引いておく。「盆は故人の霊を供養するだけでなく、生きている年長の者に礼をつくす日でもあった。新盆のないお盆を生盆(いきぼん)、しょうぼんと言ってめでたいものとする。そして、目上の父母や主人、親方などに物を献じたり、ごちそうをしたりし、その人々、およびその儀式を生身魂と言った。食べさせるものは刺鯖が多く、蓮の葉にもち米を包んだものを添えたりする」。つまり現在の「敬老の日」みたいなものだが、敬老の日よりも必然性があると言えるだろう。彼岸に近い存在である高齢者を直視し、故に敬老の日のような社会的偽善性は避けられ、長寿への賛嘆と敬意の念が素直に表現されているからだ。この句もそうした素直な心の発露であり、それをまた微笑して受け入れる土壌が作者の周辺にはあるということである。子規の句にもある。「生身魂七十にして達者也」。いまでこそ七十歳くらいで達者な方はたくさんおられるけれど、子規の時代には相当なお年寄りと受け取られていたにちがいない。私が子どものころだって、七十歳と言えば高齢中の高齢だった。一つの集落に、お一人おられたかどうか。小学生のときに「おれたちは21世紀まで生きられるかなあ」「六十過ぎまでか、まあ無理じゃろねえ」と友だちと言い交わしたことを思い出す。もちろん、村の高齢者の年齢から推しての会話であった。今日は、旧盆の迎え火。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)




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