メダル続々。健闘の選手諸君には申し訳ないが、これほど獲ると国のゆがみを感じる…。




2004ソスN8ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2582004

 ひとめぐりするたびに欠け踊の輪

                           原 雅子

句で「踊(おどり)」といえば盆踊りのこと。秋の季語。句は輪踊りが「ひとめぐりするたび」に、だんだん踊り手の数が欠けてくる様子を詠んでいる。だいぶ夜も更けてきて、踊りのピークが過ぎようとしているのだ。見物していると、そこはかとない哀感を覚えるシーンであり、なんだか名残り惜しいような気持ちもわいてくる。とりわけてたまに帰省した故郷の盆踊りともなると、この感はひとしおだ。子供の頃からなじんだ場所で、組まれた櫓も同じなら唄も同じ、踊り方も同じなら踊り手の数も昔と似たようなものである。帰省子が、一挙に故郷に溶け込めるのが盆踊りの夜だといっても過言ではないだろう。踊る人々の輪のなかに、懐かしい誰かれの姿を見出してはひとり浮き立っていた気分が、しかし時間が経つに連れだんだん人が欠けてくると、少しずつ沈んでくる。懐かしいとはいっても、親しく話すような間柄ではない人も多いし、顔は知っていても名前すら知らない人もいるわけだ。つまり踊りの輪から欠けていった人とは、それっきりなのである。もう二度と、見かけることはないかもしれない。そうした哀感も手伝って、掲句の情景は身に沁みる。私の田舎では、踊りが終わると、すぐそばの川に灯籠を流した。川端は真の闇だから、もう誰かれの顔は見えない。『日夜』(2004)所収。(清水哲男)


August 2482004

 真夏昼猫がころがすカタン糸

                           二村典子

はもちろん、草木までもが暑さにげんなりとしている「夏真昼」。こういうときにはイの一番に昼寝をきめこんでしまうはずの「猫」が、どうした弾みか、「カタン糸」の糸巻きにじゃれついている。この気まぐれの生気は、かえって作者を鬱陶しくさせているようだ。それにしても、おお ! 懐かしやカタン糸。何十年も目にしなかった言葉だ。私の子供時代には誰でも知っていたカタン糸だが、いつの頃からかまったく目にも耳にもしなくなってしまった。しかし、カタン糸そのものが無くなってしまったわけじゃない。現在でも多少あるにはあるが、大半が工業用として生きているのであり、家庭からはほとんど姿を消してしまった。カタン糸とは何か。カタンは英語のCOTTONが訛ったもので、木綿単糸を数本縒(よ)り合わせたものである。レース編みなどに用いる太手の木綿糸のことを指す場合もあるけれど、普通にはミシン用の縫い糸として用いる細手の木綿糸のことを言う。縒りが強く、糊や蝋で処理してあり、光沢がある。いまはミシンの無い家庭が多いし、あっても滅多に使わなくなった時代だから、カタン糸という言葉も一般的ではなくなってしまった。したがって、子供がカブトムシにミシンの糸巻きを引かせて遊ぶなんてことも、まずないだろう。カタン糸、この言葉を思い出させてくれただけでも、掲句に感謝したい。「俳句」(2004年9月号)所載。(清水哲男)


August 2382004

 鮒ずしや食はず嫌ひの季語いくつ

                           鷹羽狩行

語は「すし(鮓・鮨)」で、暑い時期の保存食として工夫されたことから夏とする。「寿司」とも表記するが、縁起の良い当て字だ。句は「彦根十五句」のうち。蕪村に「鮒鮓や彦根の城に雲かかる」があるように、昔から「鮒ずし」は滋賀の郷土料理として有名である。作者は鮒ずしを「食はず嫌ひ」で通してきたのだが、彦根への旅ではじめて口にしてみて、意外な美味を感じたのだろう。誰にも、こういうことはたまに起きることがある。納豆の食わず嫌いが、ひとたび口にするや、たちまち納豆好きになった人を知っている。そこで作者は、ふと連想したのだ。季語についても、一般的に同じことが言えるのではあるまいか。少なくとも自分には「食はず嫌ひ」の季語があって、それも数えてみたわけではないけれど、けっこうありそうだ、と。「季語いくつ」は自分への問いかけであると同時に、読者へのそれでもある。言われてみれば、誰にもそんな季語のいくつかはあるに違いない。私どもの句会(余白句会)で、谷川俊太郎が「『風光る』って恥ずかしくなるような季語だよね」と言ったのを覚えているが、これなども食わず嫌いに入りそうだ。いや他人事ではなくて、私にもそんな季語がある。これからの季節で言うと、たとえば「秋の声」だなんてそれこそ気恥ずかしくて使えない。若い頃に物の本で「心で感じ取る自然の声」などという解説を読んだ途端に、とても自分の柄じゃないと思ったからだ。ところで、読者諸兄姉の場合は如何でしょうか。俳誌「狩」(2004年9月号)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます