今宵より八連勝中の阪神が中日と三連戦。三つとも阪神が取れば、セは再び混沌状態に




2004ソスN8ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 3182004

 ひらひらと猫が乳呑む厄日かな

                           秋元不死男

句で「厄日(やくび)」といえば「二百十日」のこと、秋の季語。今年は閏年なので、今日にあたる。ちょうど稲の開花期のため、農民が激しい風雨を恐れて「厄日」としたものだ。その恐れが農家以外の人々にもストレートに伝わっていたのだから、この国の生活がいかに農業に密着していたかがよくわかる。今年は台風の当たり年。折しも大型の台風が九州を抜け日本海側を通過中で、それらの地方では暦通りの厄日となってしまった。掲句に風雨のことは一切出てこないけれど、そんな台風圏のなかでの作句だろう。表は強い風と雨にさらされていて、薄暗い家の中に籠っているのは作者と猫だけだ。猫もさすがに少しおびえたふうで、ミルク(乳)を与えると大人しく呑んでいる。こういうときには、生き物同士としての親密感が湧くものだ。そして、か弱いものを守ってやろうという保護者意識も……。だから、普段は気にすることもない猫の食事を、作者はじっと眺めている。「ひらひらと」は猫が乳を舐める舌の様子でもあり、自然の猛威の中ではなんとも頼りない猫の存在と、そして作者自身の心理状態でもあるだろう。ひらひらと吹けば飛ぶよな猫と我、と昔の人なら言ったところだ。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 3082004

 売れ残る西瓜に瓜のかほ出でて

                           峯尾文世

語は「西瓜」で秋。なぜ西瓜が秋なのかと私たちは訝るが、その昔は立秋以降の産物だったようだ。その昔と言っても、おそらくは元禄期ころで、そんなに大昔のことでもない。初期普及時には血肉に似ているので、嫌われたという話がある。掲句は一読、いや三読くらいして、じわりと面白さが広がってきた。なるほど、売れ残ってしょんぼりしたような西瓜からは、だんだん「瓜のかほ」が表れてくるようだ。もとより誰だって西瓜が瓜の仲間であるのは知っているけれど、南瓜もそうであるように、日頃そんなことはあまり意識していない。マクワウリなどの瓜類とは、違った意識で接している。産地で見るのならまだしも、暑い盛りの八百屋の店先や家庭の食卓で見るときには、ほとんど瓜類とは思わないのではなかろうか。それが秋風が立ち涼しくなり、売れ残りはじめると、西瓜の素性があらわに「かほに」出てくると言うのである。言われて納得、何度も納得。ユーモラスというよりも、そこはかとないペーソスの滲み出てくる良質な句だ。観察力も鋭いのだろうが、私には作者天性の感受性の豊かさのほうが勝っている句と思われた。いくら企んでも、こういう発想は出てこない。上手いものである。「東京新聞」(2004年8月28日付夕刊)所載。(清水哲男)


August 2982004

 椿は実に黒潮は土佐を離れたり

                           米沢吾亦紅

語は「椿の実」で秋。冬に咲く花の鮮やかさとは裏腹に、褐色の椿の実は地味である。濃い緑の葉陰に隠れるように、ひっそりと実っている。通りがかりにたまさか気がつくと、もうこんな季節かと、あらためて月日の流れの早さを感じてしまう。一方で、日本海流とも言う「黒潮」の流れは雄大にして、かつ悠久の時を感じさせる。この繊細と雄渾との対比が、句のミソだろう。しかも作者は、めったに起きない「土佐」の黒潮大蛇行を目撃している。大蛇行とは、原因は不明だそうだが、黒潮の流れが陸地からはるか遠くに離れて行く現象を言う。これまでは、13年に一度くらいの割合で起きてきた。となれば、身近に残ったのは椿の実に象徴されるはかなさであり、ますます秋特有の寂しさが深まったことだろう。実は現在、この珍しい大蛇行現象が起きているのをご存知だろうか。その影響で、紀伊半島東岸から東海にかけては潮位が通常より数十センチ程度上昇し、高潮が起きやすい状態になっており、気象庁では警戒を呼びかけている。だから、今年の台風は余計に危険なのだ。また漁業にも影響が出ていて、東海沖ではシラスやサバが不漁であり、逆に御前崎沖では通常は取れないカツオが取れているという。『花の歳時記・秋』(2004・講談社)所載。(清水哲男)




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