プロ野球選手会がストライキへ。実行すれば、相手方の膿も自分側のも出る。貫くべし。




2004ソスN9ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0792004

 何がここにこの孤児を置く秋の風

                           加藤楸邨

浮浪児
のページを八年ほど書いてきて、その折々の選句を振り返ってみると、結局私の関心やこだわりは先の大戦と敗戦以降の数年間に集中していることがわかる。年代でいえば、少年時代だ。たとえ時世に無関係なような花鳥風月句でも、どこかであの時代の何かに関わっている。いつまでも拘泥していてはならじと、時にジャンプしてはみたものの、またあの頃にいつしか回帰してしまっている。偶然に生き残った者のひとりとしての私……。この意識からは、何があってももう抜け出せないだろう。昨日、話題の『華氏911』を見に行ってきたけれど、いまひとつ入りきれなかったのは、マイケル・ムーア監督の位置がブッシュ大統領と同じ超大国の地平上にあったからだ。この映画は超大国の長としてのブッシュを実に痛快に告発しているのだが、弱小国イラク民衆の「何がここに」の呟きのような疑問に応える姿勢はさして無いと言ってよい。いや、理念としてあるのは認められるが、映像的には希薄だったとするほうが正確か。敗戦国の一国民たる私は、その点にいささかの消化不良を起こしたのだった。ま、しかし、これはあくまでも「アメリカ映画」なのである。掲句は、戦後一年目くらいの東京・上野の光景だ。引用した林忠彦の同時期の写真を見れば、戦争を知らない人でもいくばくかは作者の苦しい胸の内がおわかりいただけるだろう。この二人、その後はどうしたのだろうか。いまでも元気でいるだろうか。『野哭』(1948)所収。(清水哲男)


September 0692004

 台風の去つて玄界灘の月

                           中村吉右衛門

者は初代の吉右衛門。俳号は秀山、虚子その他の文人と親交があった。台風一過。というと、たいていの人は白昼の青空をイメージするのに、あえて夜の空を詠んでみせたところがニクい。おぬし、できるな。それも、普段でも波の荒いことで知られる玄界灘だ。台風が去ったとはいっても、真っ暗な海はさぞかし大荒れだろう。その空にぽっかりと上がった煌々たる月影。さながら芝居の書割りのごとくに鮮明で、しかるがゆえに壮絶にして悲愴な情景と写る。句に、嫌みはない。「玄界灘」と聞くと、私はうろ覚えながら戦後の流行歌の一節を思い出す。「♪どうせオイラは玄界灘の波に浮き寝のカモメ鳥」というフレーズがあって、メロディだけは全部覚えている。この歌は、親友の兄貴が好きだった。彼は下関港から出漁する漁師だったが、実家のある私たちの村にやってきたときに、当時はやった素人のど自慢会などに出ては、この歌を陶酔したような表情で歌ったものだった。美男にして美声だったから、村の若い女性に人気があったようだ。ずいぶん年上の人に見えていたけれど、おそらく二十歳そこそこだったのだろう。友人も、そんな兄貴を誇らしく思い自慢していた。が、彼は嫁さんももらわないうちに、それこそ玄界灘で船が転覆して、あっけなくこの世から去ってしまった。訃報の季節は覚えていない。もしも彼が生きていたら、この句の月の見事さを陶酔したような表情で語ってくれそうな気がする。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 0592004

 銀シャリてふ眩しき死語や今年米

                           岡田飛鳥子

語は「今年米」で秋。新米のこと。「死語」と言われれば、なるほど「銀シャリ」という言葉が聞かれなくなって久しい。「シャリ」は今でも鮨屋が使うが、一般的には特別に「銀」を冠する理由がもはや無くなってしまったからだ。しかし作者は、新米の季節になる度にこの言葉を眩しく思い出し、同時に隔世の感に茫となるのである。それほどに、何も混ぜていない米だけで炊き上げたご飯への渇望は、とりわけて戦中戦後に強かった。このことについての私の体験は何度も書いたので、今回は弦書房(九州)のサイトにある原弘「昭和の子」というコラムから、該当部分の一部を引用しておく。「玄関横の六畳間に新婚の映写技師夫婦が間借りすることになった。映画は戦後の最大の娯楽だった。どこの映画館も、どんな作品がかかっても超満員のようで、当時の映写技師は格段に羽振りがよかった。『支配人や館主よりも映写技師が威張っている』と言われる時代だった。/日暮れ時、表で遊んでいると、その映写技師の六畳間から銀シャリの炊ける何とも言えない香ばしいかおりが流れてきた。空腹と銀シャリへの憧れを抱いていた僕は、その香りに吸い寄せられるようにたまらず勝手知ったる映写技師の部屋に忍び込んでいた。/電熱器のうえの鍋では、ご飯が炊きあがったばかりのようで、部屋中に香ばしいかおりが充満していた。気がついたときには手近の杓子で、顔にまとわりつく湯気を払いのけるようにしてまじっりっ気のない真っ白いご飯をすくいとって口にしていた。/しかし、久しぶりに味わった銀シャリの味は記憶にない。一瞬後、自分のやったことに気づいて愕然とし、僕はあわてて逃げだした。……」。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます