電車の窓に陽が当っているが、カーブすると当らなくなる。杉山平一の詩「時代」全行。




2004ソスN9ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2592004

 稲架かけて飛騨は隠れぬ渡り鳥

                           前田普羅

語は「稲架(はざ)」で秋。「渡り鳥」も季語だが、掲句では「稲架」のほうが主役だろう。刈り取った稲を干すためのもので、地方によって「稲木(いなぎ)」や「田母木(たもぎ)」など呼び方はいろいろだし、組み方も違う。私の田舎では洗濯物を干すように、木の竿を両端の支えに渡して干していた。この句の場合も、似たような稲架ではなかろうか。びっしりと稲を掛け終わると、それまでは見えていた前方が見えなくなる。すなわち「飛騨は隠れぬ」というわけだ。一日の労働が終わった安堵の気持ちで空を振り仰げば、折しも鳥たちが渡ってくるところだった。涼しく爽やかな風が吹き抜けて行く秋の夕暮れ、その田園風景が目に見えるようではないか。「落ち穂拾い」などを描いたミレーの農民讃歌を思わせる佳句である。この稲架も、最近ではほとんど見かけなくなった。ほとんどが機械干しに変わったからだ。昨年田舎を訪ねたときに農家の友人に聞いてみると、田植えや稲刈りと同様に、機械化されたことでずいぶんと仕事は楽になったと言った。「でもなあ、機械で干した米はやっぱり不味いな。稲架に掛けて天日で干すのが一番なんじゃが、手間を思うとついつい機械に頼ってしまう……」。自宅用の米だけでもとしばらくは頑張ったそうだが、いつしか止めてしまったという。そうぼそぼそと話す友人は、決して文学的な修辞ではなく、どこか遠いところを見るようなまなざしになっていった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 2492004

 天高く事情聴取はつづきをり

                           櫂未知子

ういう想像力は好きですね。そこはかとない可笑しみが漂ってくる。天高しの秋晴れの下、散歩に出かけたりスポーツに興じたりと、そんな戸外の活動をイメージするのは当たり前のこと。当たり前が悪いのではないけれど、しかし、一方では掲句のように天気とは関係のない現実も厳然とあるのである。「事情聴取」とまではいかなくとも、ウィークデーだとむしろ天気の如何に関わらぬ仕事で室内に閉じこもっている人のほうが多いはずだ。私なども、ときたま快晴の窓の外を眺めては、思わずもふうっとため息を漏らしたものだった。会社にいわば拘束されていたわけだが、警察に拘束されていろいろと事情を聞かれるとなると、ため息どころではないだろう。「天高し」どころではない人が圧倒的多数だとは思うけれど、推察すれば、早く拘束をといてほしい気持ちは上天気のほうが強くなりそうだ。取り調べる側だって、早く決着をつけたい気持ちに駆られるだろう。その意味で、まったく無関係だとまでは言い切れまい。しかしなお、掲句では延々と事情聴取はつづいているのであって、せっかく晴れてくれた秋の空が機嫌をそこねかねない案配にまでなってきた。諧謔句と言ってよろしいかと思うが、作者が句の裏側で言っているのは、たぶん季語の常道に拘束されすぎるなということだ。それではどんどん俳句と俳人の世間が狭くなり、多面的多層的な現実を見失うことになりかねないよ。と、一言発言する代わりに、茶目っ気を見せてやんわりとひねってみたのだと思う。『セレクション俳人06・櫂未知子集』(2003)所収。(清水哲男)


September 2392004

 をさな子はさびしさ知らね椎拾ふ

                           瀧 春一

語は「椎(の実)」で秋。ドングリの一種と言ってよいと思うけれど、椎は生でも食べられる。でもとにかく色合いが地味なので、それだけに淋しい感じのつきまとう実である。椎の木の生えている場所自体、陰気な感じのするところが多かった。そこらあたりの雰囲気を巧みに捉えたのが、虚子の「膝ついて椎の実拾ふ子守かな」だ。秋も日暮れに近いのだろう。けなげな「子守」の淋しくも哀れな様子が、目に浮かぶようだ。掲句もまた、椎の実にまつわる寂寥感を詠んでいるのだが、しかし虚子のように直球を投げてはいない。かなりの変化球だ。「さびしさ」を知らない「をさな子」が一心に椎の実を拾っている。しかしそれが単純に微笑ましい図かというと、そうではなくて、作者はどこかに淋しさ哀れさを感じてしまうと言うのだ。「知らね」は「知らねども」の略として良いと思うが、純粋無垢の幼児のひたむきな行為を見ていると、身につまされるときがある。かつての自分もこうであったはずだが、やがて物心がつき自我に目覚め、人生の喜怒哀楽を知り始めると、とても純粋ではいられなくなる道程を知っているからだ。無心の幼児。このころが結局いちばん良い時期かもしれないなあと思うと、涙ぐましくなってくる。その感情を、幼児の拾う椎の実の淋しさが増幅するのである。センチメンタリズムを詠ませると、この作者はいつも格別な才気を発揮した。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)




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