ネット・サーフィンというと恰好がよろしいが、ネットうろつきまわりの昨今。刺激大。




2004ソスN9ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2692004

 今年藁みどりほのかに新娶り

                           西島麦南

語は「今年藁(新藁)」で秋。新しい藁は、根元のほうにうっすらと「みどり」が残っている。独特な爽やかな香りがあるが、もう何十年も嗅いでいない。懐かしいなあ。稲刈りも脱穀も終わって、秋の農繁期が一段落したころの句だろう。農家での婚礼だ。昔は多く自宅で結婚式や披露宴を行ったので、今年藁が招待客の目に入ってもおかしくない理屈だ。新藁自体に収穫の喜びと安らぎとが感じられ、加えておめでたい婚礼なのだから、この取り合わせは効果的である。しかも「みどりほのかに」のイメージからして、派手な婚礼は想起されず、あくまでもつつましやかな喜びと祝福感が滲み出ている。作者の優しい寿ぎの心が、よく出ていて好もしい。いまどきのようなホテルや会館などでの婚礼には生活感がないけれど、往時のそれはこのように生活と密着していた。どちらが良いと即断はできないけれど、こうした味わいのある婚礼が見られなくなったのは、私にはなんとなく淋しい感じがある。私の親族のなかでは戦後に、農家ではなかったけれど叔父が大阪の自宅で婚礼をあげている。私はその家から東京に越してきたばかりの中学生だったので列席できなかったけれど、式の様子や披露宴の写真を見たときに、将来の自分もこんなふうに畳の上で式をあげるのかなと思ったことだった。が、実際には生活感皆無の場所を選ばざるを得なかった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 2592004

 稲架かけて飛騨は隠れぬ渡り鳥

                           前田普羅

語は「稲架(はざ)」で秋。「渡り鳥」も季語だが、掲句では「稲架」のほうが主役だろう。刈り取った稲を干すためのもので、地方によって「稲木(いなぎ)」や「田母木(たもぎ)」など呼び方はいろいろだし、組み方も違う。私の田舎では洗濯物を干すように、木の竿を両端の支えに渡して干していた。この句の場合も、似たような稲架ではなかろうか。びっしりと稲を掛け終わると、それまでは見えていた前方が見えなくなる。すなわち「飛騨は隠れぬ」というわけだ。一日の労働が終わった安堵の気持ちで空を振り仰げば、折しも鳥たちが渡ってくるところだった。涼しく爽やかな風が吹き抜けて行く秋の夕暮れ、その田園風景が目に見えるようではないか。「落ち穂拾い」などを描いたミレーの農民讃歌を思わせる佳句である。この稲架も、最近ではほとんど見かけなくなった。ほとんどが機械干しに変わったからだ。昨年田舎を訪ねたときに農家の友人に聞いてみると、田植えや稲刈りと同様に、機械化されたことでずいぶんと仕事は楽になったと言った。「でもなあ、機械で干した米はやっぱり不味いな。稲架に掛けて天日で干すのが一番なんじゃが、手間を思うとついつい機械に頼ってしまう……」。自宅用の米だけでもとしばらくは頑張ったそうだが、いつしか止めてしまったという。そうぼそぼそと話す友人は、決して文学的な修辞ではなく、どこか遠いところを見るようなまなざしになっていった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 2492004

 天高く事情聴取はつづきをり

                           櫂未知子

ういう想像力は好きですね。そこはかとない可笑しみが漂ってくる。天高しの秋晴れの下、散歩に出かけたりスポーツに興じたりと、そんな戸外の活動をイメージするのは当たり前のこと。当たり前が悪いのではないけれど、しかし、一方では掲句のように天気とは関係のない現実も厳然とあるのである。「事情聴取」とまではいかなくとも、ウィークデーだとむしろ天気の如何に関わらぬ仕事で室内に閉じこもっている人のほうが多いはずだ。私なども、ときたま快晴の窓の外を眺めては、思わずもふうっとため息を漏らしたものだった。会社にいわば拘束されていたわけだが、警察に拘束されていろいろと事情を聞かれるとなると、ため息どころではないだろう。「天高し」どころではない人が圧倒的多数だとは思うけれど、推察すれば、早く拘束をといてほしい気持ちは上天気のほうが強くなりそうだ。取り調べる側だって、早く決着をつけたい気持ちに駆られるだろう。その意味で、まったく無関係だとまでは言い切れまい。しかしなお、掲句では延々と事情聴取はつづいているのであって、せっかく晴れてくれた秋の空が機嫌をそこねかねない案配にまでなってきた。諧謔句と言ってよろしいかと思うが、作者が句の裏側で言っているのは、たぶん季語の常道に拘束されすぎるなということだ。それではどんどん俳句と俳人の世間が狭くなり、多面的多層的な現実を見失うことになりかねないよ。と、一言発言する代わりに、茶目っ気を見せてやんわりとひねってみたのだと思う。『セレクション俳人06・櫂未知子集』(2003)所収。(清水哲男)




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