Flashを使った雑誌を考えている。年末にはサンプル版をお見せできるかも…。難しい。




2004ソスN9ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2792004

 蘭の名はマリリンモンロー唇々々

                           山口青邨

モンロー
語は「蘭(らん)」。現代の歳時記では夏に分類しているほうが多いようだが、古くは馬琴の『栞草』のように秋の季語とした。同じく秋に分類している金子兜太編の歳時記によると、秋の七草の一つである「フジバカマ」を昔は「ラン」と言ったからだと書いてある。だから、芭蕉や蕪村の句の蘭はフジバカマのことかもしれないのだが、こればかりはもう確かめようもないだろう。ややこしいけれど、当歳時記では角川版歳時記の分類を基準としているので夏の部に入れておく。掲句は近着の「俳句」(2004年10月号)に載っていた大屋達治「山口青邨論」に引用されていたものだ。作句時の作者は九十歳を越えている。この句を味わうためには、なにはともあれどんな花なのかを知らなければならない。早速ネットで調べてみると、ときどき写真を借用してきた青木繁伸さんのサイトに鮮明なものがあり、縮小して掲載したが、なるほどねえと「納得々々」した次第だ。やはりモンローの顔を簡略化していくと、最後には「唇」が残るということか。アンディ・ウォーホールの版画を思い出したりした。ところで「唇々々」はどう読むのだろう。大屋さんは「くちくちくち」としているが、「しんしんしん」でも面白いかな。いずれにしても、青邨の茶目っ気は終生健在であったということだ。ユーモアも、文芸世界を支える大きな柱である。(清水哲男)


September 2692004

 今年藁みどりほのかに新娶り

                           西島麦南

語は「今年藁(新藁)」で秋。新しい藁は、根元のほうにうっすらと「みどり」が残っている。独特な爽やかな香りがあるが、もう何十年も嗅いでいない。懐かしいなあ。稲刈りも脱穀も終わって、秋の農繁期が一段落したころの句だろう。農家での婚礼だ。昔は多く自宅で結婚式や披露宴を行ったので、今年藁が招待客の目に入ってもおかしくない理屈だ。新藁自体に収穫の喜びと安らぎとが感じられ、加えておめでたい婚礼なのだから、この取り合わせは効果的である。しかも「みどりほのかに」のイメージからして、派手な婚礼は想起されず、あくまでもつつましやかな喜びと祝福感が滲み出ている。作者の優しい寿ぎの心が、よく出ていて好もしい。いまどきのようなホテルや会館などでの婚礼には生活感がないけれど、往時のそれはこのように生活と密着していた。どちらが良いと即断はできないけれど、こうした味わいのある婚礼が見られなくなったのは、私にはなんとなく淋しい感じがある。私の親族のなかでは戦後に、農家ではなかったけれど叔父が大阪の自宅で婚礼をあげている。私はその家から東京に越してきたばかりの中学生だったので列席できなかったけれど、式の様子や披露宴の写真を見たときに、将来の自分もこんなふうに畳の上で式をあげるのかなと思ったことだった。が、実際には生活感皆無の場所を選ばざるを得なかった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 2592004

 稲架かけて飛騨は隠れぬ渡り鳥

                           前田普羅

語は「稲架(はざ)」で秋。「渡り鳥」も季語だが、掲句では「稲架」のほうが主役だろう。刈り取った稲を干すためのもので、地方によって「稲木(いなぎ)」や「田母木(たもぎ)」など呼び方はいろいろだし、組み方も違う。私の田舎では洗濯物を干すように、木の竿を両端の支えに渡して干していた。この句の場合も、似たような稲架ではなかろうか。びっしりと稲を掛け終わると、それまでは見えていた前方が見えなくなる。すなわち「飛騨は隠れぬ」というわけだ。一日の労働が終わった安堵の気持ちで空を振り仰げば、折しも鳥たちが渡ってくるところだった。涼しく爽やかな風が吹き抜けて行く秋の夕暮れ、その田園風景が目に見えるようではないか。「落ち穂拾い」などを描いたミレーの農民讃歌を思わせる佳句である。この稲架も、最近ではほとんど見かけなくなった。ほとんどが機械干しに変わったからだ。昨年田舎を訪ねたときに農家の友人に聞いてみると、田植えや稲刈りと同様に、機械化されたことでずいぶんと仕事は楽になったと言った。「でもなあ、機械で干した米はやっぱり不味いな。稲架に掛けて天日で干すのが一番なんじゃが、手間を思うとついつい機械に頼ってしまう……」。自宅用の米だけでもとしばらくは頑張ったそうだが、いつしか止めてしまったという。そうぼそぼそと話す友人は、決して文学的な修辞ではなく、どこか遠いところを見るようなまなざしになっていった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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