G黷ェHフ山句

October 14102004

 秋の山遠祖ほどの星の数

                           野沢節子

語は「秋の山」。星が見えているのだから、夕暮れ時だろう。そろそろ山を下りようかというときに、澄んだ空を仰ぐと星が瞬きはじめていた。はじめのうちはぽつりぽつりと光っていたのが、時間が経つに連れてだんだんに数を増してくる。それらの星を「遠祖(とおおや)」、すなわち祖先のようだととらえた感受性を私は好きだ。そこらあたりは人それぞれで、なかには「金平糖」みたいだと感じたり「金貨」みたいだと思ったりとさまざまだし、さまざまで良いのである。が、黄昏時から徐々に数を増やしてゆく星たちの動的なありようは、私たちが祖先を思うというときに、まず両親の二人からだんだんに遡ってゆく過程に似ていて、句想の動きは的確だ。そして、遠祖の存在は確かに宇宙の星のように時間的空間的に遠いのである。いったい、私の祖先の数はどれくらいなのだろうか。この句を読んだ誰しもが、立ち止まって考えたくなるだろう。私たちはみな、太古の祖先から生き代わり死に代わりして、しかし脈々と血はつながって、いま、ここ現代の時空間に立っている。それは偶然の存在だし、また必然の存在でもある。澄んだ「秋の山」の大気のなかで、作者は遠い祖先の「数」に想いを馳せながら、粛然たる気分を得たにちがいない。『花季』(1966)所収。(清水哲男)


January 0212009

 手を入れて水の厚しよ冬泉

                           小川軽舟

体に対してふつうは「厚し」とは言わない。「深し」なら言うけれど。水を固体のように見立てているところにこの句の感興はかかっている。思うにこれは近年の若手伝統派の俳人たちのひとつの流行である。長谷川櫂さんの「春の水とは濡れてゐるみづのこと」、田中裕明さんの「ひやひやと瀬にありし手をもちあるく」、大木あまりさんの「花びらをながして水のとどまれる」。水が濡れていたり、自分が自分の手を持ち歩いたり、水を主語とする擬人法を用いて上だけ流して下にとどまるという見立て。「寒雷」系でも平井照敏さんが、三十年ほど前からさかんに主客の錯綜や転倒を効果として使った。「山一つ夏鶯の声を出す」「薺咲く道は土橋を渡りけり」「秋山の退りつづけてゐたりけり」「野の川が翡翠を追ひとぶことも」等々。山が老鶯の声で鳴き、道が土橋を渡り、山が退きつづけ、川が翡翠を追う。その意図するところは、「もの」の持つ意味を、転倒させた関係を通して新しく再認識すること。五感を通しての直接把握を表現するための機智的試みとでも言おうか。『近所』(2001)所収。(今井 聖)


September 1592013

 秋の山一つ一つに夕哉

                           小林一茶

化二(1805)年、43歳の作。一茶が北信濃柏原に帰郷定着するのが文化九年、50歳で、その間、江戸・柏原往復を六回。双方に拠点を作ります。その後、三度結婚するのだから強い。掲句の秋の山は、旅の途上か郷里の山か。一日の終わりに、じっと佇んでいるとき、まだ色づき始めてはいない秋の山を、東から西へ、一つ、一つ夕(ゆふべ)の茜色に染めていく、その色合いの変化。それは、色彩が変化する様を、ダイナミックな日時計のように視覚化した情景です。一方、同じ文化二年に「木つつきや一つ所に日の暮るる」があり、夕(ゆふべ)の一茶は視点が動いていったのに対し、「日の暮るる」一茶の視点は、一つ所に目を遣っています。「木つつき」の音の向こうは、日暮れから闇へと移り変わっていく時の経過です。さらに、寛政年間、たぶん30歳頃の作、「夕日影町一ぱいのとんぼ哉」。村ではなくて町なので江戸でしょう。夕日を浴びて、赤とんぼは深紅です。夜は漆黒の闇であった時代、夕日、夕(ゆふべ)、日暮れの光と色は違っていたことを、一茶の目は伝えています。『一茶俳句集』(1958・岩波文庫)所収。(小笠原高志)


November 01112013

 下るにはまだ早ければ秋の山

                           波多野爽波

気澄む秋の山。登ってから、しばらく時が過ぎたけれども、まだ下るには早い。もう少し、時を過ごしていよう。言葉としては描かれていないけれども、この秋の山、紅葉が見事なのかもしれない。いずれにせよ、心の中を過ぎった秋の山への親しみの思い。表現は簡明であるけれども、心に残る。これが、他の季節ならば、この情感は出てこない。「秋の山」ならではの一句。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)




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