余白句会。兼題は「烏瓜」「夜学」「千」、そして「雀蛤に」。逃げたくなってくるな。




2004ソスN10ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 16102004

 司書ひとりこほろぎのごとキーを打つ

                           山田弘子

語は「こほろぎ(蟋蟀)」で秋。ここ何年か、パソコンの普及に伴って、パソコンに取材した句をちらほらと見かけるようになった。たいていは理屈っぽくて難しいとか、うまく「キー」が打てないとかと、当事者の句が多いなかで、掲句は他人とパソコンとの関わりあいの様子を詠んでいる。それだけ、客観素材としてもパソコンが定着してきたということだ。もう中学生あたりが打っていても、誰も驚かなくなった。「司書」とあるから、図書館での印象である。一心にタイピングをしている司書の様子が、なんだか「こほろぎ」みたいだと思ったところがユニークだ。言われてみればなるほど、一点を見つめて少し前屈みになった姿勢であるとか、タイプする音の軽やかにして単調な調子も蟋蟀の鳴き声に似ていなくもない。ここで私は司書その人の姿を想像してみて、ふっとディズニー・アニメにしばしば狂言まわしとして登場する中年の蟋蟀を思い浮かべた。ああした職務には忠実で熱心で、しかしどこか軽くて愛敬のあるキャラクターである。句の司書はパソコンを自在に打っているので、実際は中年には少し間のある年齢かもしれないが、ほとんど近未来のディズニー蟋蟀候補と思えば間違いないような気がする。いずれにしても、とうとうパソコンを操る人が、ごく普通に俳句のなかに溶け込んできたという意味で、私には記憶しておくべき一句となった。「俳句研究」(2004年11月号)所載。(清水哲男)


October 15102004

 唐辛子乾き一村軽くなる

                           塩路隆子

語は「唐辛子」で秋。「唐」とつくが、日本には南方からポルトガルの宣教師が持ってきたとされる。「唐」という言葉は中国とは無関係に、外来の意でも用いられた。句は、晴天好日の村の様子を詠んでいる。それぞれの家の軒先などに吊るされた唐辛子が、良い天気に乾いてゆく。その唐辛子のいかにも軽くなった感じから、村全体「一村」が「軽くなり」と大きく言い放ったところが面白い。あくまでも天は高く、あくまでも静かな村の真昼の雰囲気が、よく伝わってくる。私が子供だったころの田舎でも、あちこちに干してあったものだが、あれはいったい何のためだったのだろうか。最近になって、ふっと疑問に思った。家庭で香辛料にするのなら、あんなに大量に必要はないだろうし、薬用に使うという話も聞いたことがない。といって商売にしていたとも思えないから、謎である。他ならぬ我が家の場合にも、主として何に使用していたのかは記憶にない。大根などの煮物に入ってはいたけれど、あんなには必要なかったはずだ。冬の日、この干した唐辛子を悪戯で、教室の暖房用の大きな火鉢に放り込んだヤツがいて、ものすごい刺激臭を含んだ煙がたちこめ騒然となった。とても目が開けていられず、みんなで表に飛び出した。以来、悪ガキたちは妙に唐辛子に親近感を覚えたものだが、これは割に真っ当な(?)使い方だったようだ。というのも、日本では最初食用には使われず、朝鮮出兵の折りには毒薬(目つぶし用)として用いられたそうだからである。『美しき黴』(2004)所載。(清水哲男)


October 14102004

 秋の山遠祖ほどの星の数

                           野沢節子

語は「秋の山」。星が見えているのだから、夕暮れ時だろう。そろそろ山を下りようかというときに、澄んだ空を仰ぐと星が瞬きはじめていた。はじめのうちはぽつりぽつりと光っていたのが、時間が経つに連れてだんだんに数を増してくる。それらの星を「遠祖(とおおや)」、すなわち祖先のようだととらえた感受性を私は好きだ。そこらあたりは人それぞれで、なかには「金平糖」みたいだと感じたり「金貨」みたいだと思ったりとさまざまだし、さまざまで良いのである。が、黄昏時から徐々に数を増やしてゆく星たちの動的なありようは、私たちが祖先を思うというときに、まず両親の二人からだんだんに遡ってゆく過程に似ていて、句想の動きは的確だ。そして、遠祖の存在は確かに宇宙の星のように時間的空間的に遠いのである。いったい、私の祖先の数はどれくらいなのだろうか。この句を読んだ誰しもが、立ち止まって考えたくなるだろう。私たちはみな、太古の祖先から生き代わり死に代わりして、しかし脈々と血はつながって、いま、ここ現代の時空間に立っている。それは偶然の存在だし、また必然の存在でもある。澄んだ「秋の山」の大気のなかで、作者は遠い祖先の「数」に想いを馳せながら、粛然たる気分を得たにちがいない。『花季』(1966)所収。(清水哲男)




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