今週は福井県大野市行きもあり、原稿やら何やらで多忙。風邪など引きませんように。




2004ソスN10ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 17102004

 紙袋たたまれ秋の表側

                           上田睦子

暴にではなく、きちんと「たたまれ」た「紙袋」でなければならない。その姿を「秋の表側」としたメタフィジカルな比喩を面白く感じた。輪郭がはっきりとし、全容はくっきりと冴えて見えている。よく晴れた秋の日の万象の様子と、いかにも気持ちよく通じ合っている。このときに、秋の裏側とは長雨などの暗いイメージだろう。このように季節に表裏や奥行きというものを認めるとすれば、秋はまずどの季節よりも表側を見せて近寄ってくるのではなかろうか。はっきりと、くっきりと鮮明なイメージこそ、秋にふさわしい。これがたとえば春であると、鮮明度はおぼろにして低いと言えるだろう。春は季節の表側からではなく、少し内側から立ち現れると言うべきか。夏はと言えば、かっと燃えている奥の奥をあからさまにさらしてくる。人は常に身構えて迎えるのだが、しかしいつしか精魂もつきて崩れ落ちてしまう。冬には、少しややこしいが、すべての季節の裏側が表側だというイメージが濃い。雪はその代表格で、あらゆる物のエッジを削ぎ落とすように消滅させてしまう。伴って、人の心も内へ内へと食い込みがちだ。これらの季節はさながら回り舞台のように、私たちの目を見張らせ、心を動かし、さらには身体を支配してくる。今日もまた、ひそやかに少しずつ舞台は回っている……。秋の表側にも、だんだん裏側が透けて滲んでくる。『木が歩きくる』(2004)所収。(清水哲男)


October 16102004

 司書ひとりこほろぎのごとキーを打つ

                           山田弘子

語は「こほろぎ(蟋蟀)」で秋。ここ何年か、パソコンの普及に伴って、パソコンに取材した句をちらほらと見かけるようになった。たいていは理屈っぽくて難しいとか、うまく「キー」が打てないとかと、当事者の句が多いなかで、掲句は他人とパソコンとの関わりあいの様子を詠んでいる。それだけ、客観素材としてもパソコンが定着してきたということだ。もう中学生あたりが打っていても、誰も驚かなくなった。「司書」とあるから、図書館での印象である。一心にタイピングをしている司書の様子が、なんだか「こほろぎ」みたいだと思ったところがユニークだ。言われてみればなるほど、一点を見つめて少し前屈みになった姿勢であるとか、タイプする音の軽やかにして単調な調子も蟋蟀の鳴き声に似ていなくもない。ここで私は司書その人の姿を想像してみて、ふっとディズニー・アニメにしばしば狂言まわしとして登場する中年の蟋蟀を思い浮かべた。ああした職務には忠実で熱心で、しかしどこか軽くて愛敬のあるキャラクターである。句の司書はパソコンを自在に打っているので、実際は中年には少し間のある年齢かもしれないが、ほとんど近未来のディズニー蟋蟀候補と思えば間違いないような気がする。いずれにしても、とうとうパソコンを操る人が、ごく普通に俳句のなかに溶け込んできたという意味で、私には記憶しておくべき一句となった。「俳句研究」(2004年11月号)所載。(清水哲男)


October 15102004

 唐辛子乾き一村軽くなる

                           塩路隆子

語は「唐辛子」で秋。「唐」とつくが、日本には南方からポルトガルの宣教師が持ってきたとされる。「唐」という言葉は中国とは無関係に、外来の意でも用いられた。句は、晴天好日の村の様子を詠んでいる。それぞれの家の軒先などに吊るされた唐辛子が、良い天気に乾いてゆく。その唐辛子のいかにも軽くなった感じから、村全体「一村」が「軽くなり」と大きく言い放ったところが面白い。あくまでも天は高く、あくまでも静かな村の真昼の雰囲気が、よく伝わってくる。私が子供だったころの田舎でも、あちこちに干してあったものだが、あれはいったい何のためだったのだろうか。最近になって、ふっと疑問に思った。家庭で香辛料にするのなら、あんなに大量に必要はないだろうし、薬用に使うという話も聞いたことがない。といって商売にしていたとも思えないから、謎である。他ならぬ我が家の場合にも、主として何に使用していたのかは記憶にない。大根などの煮物に入ってはいたけれど、あんなには必要なかったはずだ。冬の日、この干した唐辛子を悪戯で、教室の暖房用の大きな火鉢に放り込んだヤツがいて、ものすごい刺激臭を含んだ煙がたちこめ騒然となった。とても目が開けていられず、みんなで表に飛び出した。以来、悪ガキたちは妙に唐辛子に親近感を覚えたものだが、これは割に真っ当な(?)使い方だったようだ。というのも、日本では最初食用には使われず、朝鮮出兵の折りには毒薬(目つぶし用)として用いられたそうだからである。『美しき黴』(2004)所載。(清水哲男)




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