自衛隊を至急イラクから引き揚げて被災地に派遣すべし。年間5兆円の防衛費が活きる。




2004ソスN10ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 28102004

 毒茸月薄目して見てゐたり

                           飯田龍太

語は「(毒)茸」で秋。「薄目して」見ているのは、毒茸なのか月なのか。ちょっと迷った。どちらともとれるけれど、毒茸が見ているほうが面白いので、主語は毒茸として読むことにした。月夜の毒茸といえば、ツキヨダケだろう。残念ながら見たことはないのだが、夜間に白く発光するのだそうである。それだけでも不気味なのに、月など無視しているような顔をして、実は薄目を開けてじいっと様子を窺っているときては、ますます不気味さを増してくる。それも一つの毒茸だけではなくて、あちらでもこちらでも多くの薄目が鈍く光っているのだ。山の人・龍太の、いわば実感句と言ったところか。発光しているところを見たことがある人ならば、私の何倍もぞくりとするに違いない。日本人の茸中毒の大半はこのツキヨダケによると言われており、年間平均の重い中毒者は200人程度、この数字は明治以降ほとんど変わらないのだという。それほど、食べられるものとの見分けがつかないわけだ。山の子だった私たちは、いくつかの見分け方を言い伝えで知っていた。代表的なのは、茎が縦に裂けないものは食べられないということや、色が毒々しいものも駄目などであった。ところがこれはとんだ迷信で、そんな見分け方では役に立たない事例はいくつもあることを後年知って愕然としたことがある。なかには酒といっしよに食べるときだけ中毒する茸もあるそうで、要するに素人判断は止めておくに限るということでしょう。山本健吉『俳句鑑賞歳時記』(2000・角川文庫)所載。(清水哲男)


October 27102004

 柿もぐや殊にもろ手の山落暉

                           芝不器男

語は「柿」で秋。「もろ手(双手)」で柿を取っている。つまり、片方の手で柿の木の枝を押さえ、もう一方で「もいで」いる図である。そうすると自然に双手は輪の形になり、双手の輪の中には遠くの山が囲まれて見えるわけだ。その山にはいましも秋の日が落ちていく(落暉)ところで、「殊(こと)」に鮮やかで美しい感じを覚えたというのである。間近な柿と遠くの夕陽との取り合わせ。色彩はほぼ同系統なので、お互いがお互いに溶け込むような印象も受ける。そして作者は、ひんやりとした秋の大気のなかにいる。が、もぐために上げた両手が耳のあたりに触れているために、頬のあたりだけがかすかに暖かい。そのかすかな暖かさが、束の間とはいえ、落暉の輝きをより鮮明にしていると言ってもよいだろう。不器男の生まれ育った土地は、四国は四万十川上流の広見川のつくる狭い流域の村落であった。そこで彼は、二十八年という短い生涯の大半を過ごしている。いわば峡谷の子だった。そのことを意識して不器男句を読んでみると、天と地、高所と低所の事象や事物の取り合わせがかなり多いことが知れる。「山のあなたの空とおく……」。峡谷に暮らす人たちの、ごく自然な意識の持ちようだと思う。『芝不器男句集』(1992・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


October 26102004

 胸さびしゆゑにあかるき十三夜

                           石原八束

語は「十三夜」で秋。陰暦九月十三日(すなわち本日)の夜の月のこと。仲秋の名月(十五夜)に対して「後(のち)の月、後の名月」などとも言う。十五夜の満月が陽性なのに比べて、どちらかと言えば今宵の月は陰性だ。四囲は枯れはじめ、虫の音も途絶えがちになる。しかも大気は澄んでくるから、ひとり月光のみが鮮やかで、句のように寂寥感を増幅する。掲句を見つけて樋口一葉に短編「十三夜」があったことを思い出し、読み返してみた。身分違いの家に懇望されて嫁いだものの、最近では旦那に冷たくされ罵倒され、ついに我慢しきれずに離婚を決意し、子供を置いて実家に戻ってくる女性の話だ。そうとは知らぬ両親は上機嫌で出迎えてくれる。「今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に團子をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを惡がつて其樣な物はお止なされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても惡るし、……」。「舊弊なれど」とあるから、明治期の東京あたりでは、十三夜の月見の風習は廃れつつあったことがわかる。意を決して離婚の意思を両親に打ち明けた彼女は、しかし子供のために実家に戻るよう父親に説得され、涙顔を袖で隠して人力車に乗った。「さやけき月に風のおと添ひて、虫の音たえだえに物がなしき上野へ入りてよりまだ一町もやうやうと思ふに、……」。ここから劇的なシーンになるのだが、関心のある方は原作でどうぞ。ともかく十三夜は、この句もそうであるように、こうした古風な情緒によく似合う月である。今宵晴れるか。『新俳句歳時記』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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