November 022004
時計塔鳴り出で釣瓶落しかな
和田敏子
季語は「釣瓶(つるべ)落し」で秋。秋の落日は、井戸の中に真っすぐに落ちていく釣瓶のように早い。旅先での句だろう。夕刻、不意に聞き慣れない打刻音が聞こえてきた。オルゴールの音色かもしれない。思わず振り仰ぐと「時計塔」が建っていて、そこから聞こえてきた音だった。時計塔の背後の空には、折りしも釣瓶落しの秋の日が……。これも旅情の一つである。この句の生命は「鳴り出で」の「出で」にあると思う。むろん音そのものが「出で」が第一義だけれど、同時にこれは時計塔が忽然と出現したような感じを含んでいる。たとえば「鳴り出し」と詠んだのでは、この感じは出てこない。ここらへんが、俳句表現の微妙なところだ。時計塔からではないが、昨秋故郷を訪ねた折りに人影の無い山道を歩いていたら、いきなりサイレンが聞こえてきて、ちょっとびっくりさせられた。時計を見ると午前11時50分で、それがお昼時を知らせるサイレンだと知れた。そういえば子供の頃に朝昼晩と役場のサイレンが鳴ったことを思い出して、まだ続いていたのかと二度びっくり。野良仕事や山仕事の人たちに時刻を知らせるサイレンなのだが、腕時計などが高価だった昔ならばともかく、いまでもそんな必要があるのだろうか。携帯ラジオだって、あるのに。野の仕事なので腕時計を嵌めて働くわけにはいかなくても、携帯の方法はいろいろあるだろう。と、首をかしげながら友人宅を訪れ、サイレンが何故必要なのかを聞こうと思っているうちに、他の話にまぎれてしまった。『光陰』(2002)所収。(清水哲男)
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