米大統領選。「ブッシュ・ドクトリン」が信任された。それにしても支持者が多かった。




2004ソスN11ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 04112004

 秋暑し五叉路を跨ぐ歩道橋

                           比田誠子

の上の秋は今週でお終い。七日は、はや「立冬」だ。しかし、動くと汗ばむような陽気の日がまだしばらくは断続的にあらわれる。「秋暑し」の掲句はドカンと「歩道橋」を据えてみせ、それも五叉路を跨いでいるのだから、想像するだに暑そうである。身体的にも暑そうだが、それ以上に神経的にこたえる。夏の暑さなら覚悟しているので身体的な反応ですむけれど、秋の暑さの中だとむしろ余計に神経に障るので、辛いものがある。したがって、「秋暑し」の感覚がよく生かされている作品だと思う。実際、五叉路くらいの分かれ道を跨ぐ歩道橋をわたるのは、厄介だ。東京の飯田橋駅前の歩道橋を思い出したが、あそこは五叉路だったか何叉路だったか、とにかくよく注意してわたらないと、とんでもない所に下りてしまう羽目になる。たまに出かけると、必ずといってよいほどに間違える。まったく神経によろしくない歩道橋だ。それに歩道橋は、車優先思想の先兵みたいなものだから、まったくもって人間に失礼な建造物なのである。日本で最初に歩道橋ができたのは、たしか大阪駅前だったと記憶する。その昔の新幹線のキャッチコピーに「ひかりは西へ」というのがあった。これに習って言えば「失礼は西から」だ。なんてことを言うと、大阪人に張り倒されるかしらん(笑)。俳誌「百鳥」(2004年11月号)所載。(清水哲男)


November 03112004

 色刷りの朝刊多し文化の日

                           小路智壽子

和二十年代も後半の句だろう。いまでこそ新聞の写真や絵が「色刷り」になっていても珍しくはないけれど、当時は元日などの特別な日しかカラーは使われなかった。コストが高くついたのと、印刷技術がまだ未熟で鮮明に色彩を表現できなかったせいだ。アタラシもの好きの私などは、それでもワクワクして眺めたものである。あまりに実際の色とかけ離れた写真とわかっても、いつもひいき目で見ては、凄いなアと感激していた。掲句は駅売りスタンドの新聞各紙を眺めたときの感想だろうが、これぞ文化であり「文化の日」にふさわしい光景だと心を暖かくしている。「文化」という言葉それ自体に、人々がまだ希望の灯を感じていたころの実感なのだ。文化包丁だとか文化鍋だとか、とにかく「文化」の名をつけてあればありがたいような気になった時代だった。文化湯なんて銭湯もあったっけ。さしずめ「長髪アタマを叩いてみれば、ブンカブンカの音がする」という時代だった……。それが、いまではどうだろう。「文化」は横文字の「カルチャー」にすっかり席をゆずり、今日が「文化の日」だよと言われても、なんだかピンと来なくなってしまった。遠からず「カルチャー・デー」なんて呼ぶようになる日が来るのかもしれない。とまれ、戦後文化は人間の上っ面だけをなぞったような平板なものだった。名称が改変されたとしても、誰もカルチャー・ショックなど受けないだろう。『合本俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


November 02112004

 時計塔鳴り出で釣瓶落しかな

                           和田敏子

語は「釣瓶(つるべ)落し」で秋。秋の落日は、井戸の中に真っすぐに落ちていく釣瓶のように早い。旅先での句だろう。夕刻、不意に聞き慣れない打刻音が聞こえてきた。オルゴールの音色かもしれない。思わず振り仰ぐと「時計塔」が建っていて、そこから聞こえてきた音だった。時計塔の背後の空には、折りしも釣瓶落しの秋の日が……。これも旅情の一つである。この句の生命は「鳴り出で」の「出で」にあると思う。むろん音そのものが「出で」が第一義だけれど、同時にこれは時計塔が忽然と出現したような感じを含んでいる。たとえば「鳴り出し」と詠んだのでは、この感じは出てこない。ここらへんが、俳句表現の微妙なところだ。時計塔からではないが、昨秋故郷を訪ねた折りに人影の無い山道を歩いていたら、いきなりサイレンが聞こえてきて、ちょっとびっくりさせられた。時計を見ると午前11時50分で、それがお昼時を知らせるサイレンだと知れた。そういえば子供の頃に朝昼晩と役場のサイレンが鳴ったことを思い出して、まだ続いていたのかと二度びっくり。野良仕事や山仕事の人たちに時刻を知らせるサイレンなのだが、腕時計などが高価だった昔ならばともかく、いまでもそんな必要があるのだろうか。携帯ラジオだって、あるのに。野の仕事なので腕時計を嵌めて働くわけにはいかなくても、携帯の方法はいろいろあるだろう。と、首をかしげながら友人宅を訪れ、サイレンが何故必要なのかを聞こうと思っているうちに、他の話にまぎれてしまった。『光陰』(2002)所収。(清水哲男)




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