松山市が道後温泉本館を大地震に耐える構造に。観光資源よりも市民を守るほうが先だ。




2004ソスN11ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 09112004

 かく隙ける隙間風とはわらふべし

                           皆吉爽雨

語は「隙間風」で冬。戦後住宅空間の大変化の一つは、隙間風が入らなくなったことだ。もはや、ほとんどの住居は密閉され、外気と遮断されている。昔は十一月ともなれば、夜の隙間風が心細いばかりに身に沁みたものだ。戸や障子の細い隙間から、鋭くて冷たい風が吹き込んできた。子供の頃の我が家では、壁の隙間からも風が入ってきた。あれは細い隙間から入ってくるので「隙間風」なのだが、掲句の場合には「かく隙ける」というくらいに細くはないところから、吹き込んできている。よほど建て付けの悪い家なのだ。「わらふべし」に漢字を当てれば「嗤ふべし」で、自宅だったら自嘲になるし、他家であれば怒りになる。いずれにしても、呆れるほどの隙間に癇癪を起こしている作者を想像すると、なんとなく可笑しい。これも俳味というものだろう。建て付けが悪いといえば、独身時代に住んだアパートはかなりのものだった。北向きの大きな窓が、どうやってもきちんと閉まらない。いつも、上か下のほうが少し開いたままなので、まさに隙間風様歓迎風の恰好であり、あまり寒い日には部屋でコートも脱がなかったことがある。ちゃちな電気炬燵くらいでは、背中に来る風の冷たさは防ぎようもなかった。で、ある朝目覚めると枕元に白い帯状のものが見えるので、何だろうと思ったら、寝ている間に隙間から吹き込んだ雪がうっすらと積っていたのでした。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 08112004

 柿博打あつけらかんと空の色

                           岩城久治

語は「柿博打(かきばくち)」で秋。忘れられた季語の一つ。私も、宇多喜代子が「俳句」に連載している「古季語と遊ぶ」ではじめて知った。要するに、柿の種の数の丁半(偶数か奇数か)で勝負を決めた賭博のことだ。種の数は割ってみなければわからないから、なるほど博打のツールにはなる。しかし、柿まで博打のタネにするとはよほど昔の人は博打好きだったのだろうか。とにもかくにも季語として認知されていたわけだから、多くの人が日常的にやっていたに違いない。たしかマーク・トゥエインだったと覚えているが、メキシコ人の博打好きをめぐって、こんなことを書いていた。彼らの博打好きは常規を逸していて、たとえば窓ガラスを流れ落ちてゆく雨粒でさえ対象にする。どちらの粒が早く落ちるかに賭けるのだ……。これを読んだときに思わず笑ってしまったけれど、どっこい灯台下暗しとはこのことで、我ら日本人も柿の種に賭けていたとはねえ。メキシコ人を笑えない。句の博打は、宇多さんが書いているように、退屈しのぎみたいなものなのだろう。勝っても負けても、ほとんど懐にはひびかない程度の賭けだ。だから「あつけらかん」。快晴の秋空の下、暇を持て余した人同士が、つまらなそうに柿を割っている様子が見えるようで、微笑を誘われる。「俳句」(2004年11月号)所載。(清水哲男)


November 07112004

 百姓に花瓶売りけり今朝の冬

                           与謝蕪村

語は「今朝の冬」で冬。「立冬」の日の朝のことだ。この句には、何らかのエピソードが背景にありそうな気もするのだが、よくわからない。蕪村は物語の発端を思わせる句を多く作っているから、その流れにあるとして解釈してみる。以前から近隣の「百姓」に欲しいとしつこく請われていた愛用の「花瓶」を、熱意にもほだされて、ついにある朝手放してしまった。「売りけり」とあるから売ったわけだが、そのときの蕪村は手元不如意でもあったのだろう。が、いくら生活のためとはいえ、およそその花瓶は無風流な百姓にはそぐわない品と思われ、どうせ手放すのなら、もっとふさわしい人があったろうにと悔やんでいる。花瓶のなくなった床の間は、やけに寒々しい。そういえば、今日は「立冬」である。これから、長くて暗い季節がやってくるのだ。うつろな心でぽっかりと空いた空間を見つめる作者の姿には、既に暗くて寒々しい冬の気配が忍び寄っている。あまり自信はないけれど、大体こんなところでどうだろうか。自然界の動きに立冬を感じるのではなく、花瓶を売るという人為的なそれに感じているところが、面白いといえば面白いし、少なくとも斬新な思いつきだ。ちなみに掲句は、編者が蕪村の佳句のみを選んだという岩波書店版「日本古典文學大系」には載っていない。(清水哲男)




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