cR句

November 19112004

 物少し状ながながと歳暮かな

                           島田雅山

語は「歳暮」で冬。まずは、この句が載っていた歳時記より「歳暮」の定義を。「年中行事の一。歳末に際し既往の好誼を相互に感謝し合ふため贈物を交換したり、無異息災を祝ふために年忘れと称し親戚・知己・同僚間に酒宴を設けることをいふのだが、後に転じて物を贈ることのみを歳暮といふやうになつた。正しくは歳暮の礼である。酒・煙草・砂糖・新巻その他デパートの商品券などが用ゐられる」。したがって忘年会などのほうが、歳暮の本義に適っている。ところで物を贈るにしても、昔は掲句のように必ず「(書)状」を添えるのが礼儀であった。あくまでも、歳暮は「交流」を感謝するしるしだからである。他人のことは言えないけれど、いまでは大概の人がデパートから送りっぱなしにして済ませてしまう。句の意味は一見明瞭に見えて、実はそうでもない。添えられた手紙ばかりが長くて、なんだい「物」はたったのこれっぽっちか……。などと読むのは間違いだろう。この句の時代背景には、戦後の物資不足がある。この国全体が貧しかった時代だ。そんななかでも何とか工面して、律儀に歳暮を届けてくれた。相手は「物少し」を大いに気にして、せめて感謝の言葉だけでも丁重にと長々と書いて寄越したのである。それが作者には痛いほどわかるので、こう詠んだというわけだ。歳暮を通してのいわば社会風刺の句である。『俳句歳時記・冬』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)




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