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2004ソスN12ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 02122004

 寒牡丹撮るとき男ひざまづく

                           折戸恭子

語は「寒牡丹(かんぼたん)」で冬。藁でかこって育て、厳冬にも花を咲かせる。花の写真撮影を趣味にする人は多い。近所の神代植物公園に行くと、薔薇の季節などはカメラの砲列状態だ。デジカメではなく、ほとんどが三脚を立て、フィルムを装填した高価そうなカメラで撮影している。が、寒牡丹のように背丈の低い花は、脚を立てるわけにはいかないので、句のように手持ちで撮らざるを得ない。このときに、どれだけ撮影に熱中しているかが、撮影者の姿勢にあらわれるのだ。ついでにこの花もちょっと押さえておこうくらいの軽い気持ちの人は、適当にかがんで撮る。だが、熱くなっている人はまさに「ひざまづく」のである。地面の冷えやズボンが汚れるなんぞは何のその、この姿勢のほうが手ぶれを最小限にとどめられるし、かがむよりもよほど被写体に肉薄できる。気がつけば、知らず知らずにそんな姿勢になっていたということだろう。作者にはその様子が、何か「男」が神々しいものに「ひざまづく」かのようにも重なって見えたというのである。むろんカメラの男にそんな気はないはずだけれど、人の熱中している姿には、たしかに敬虔な心映えといったものを感じさせられる。「ひざをつく」としなかった作者の目は、確かだ。ピュアであることは美しい。ピュアだけでは生きられない人間社会だからこそ、そうなのである。俳誌「街」(2004年12月号)所載。(清水哲男)


December 01122004

 植木屋の妻の訃知りぬ十二月

                           沢木欣一

頃は寡黙な出入りの「植木屋」が、珍しく話しかけてきた。「妻の訃(ふ)」を告げて、おそらくは年末年始の挨拶を遠慮させてもらうと言ったのだろう。「十二月」ならではの光景である。作者も彼女にはいささかの面識があり、驚いて問い直すと、今年亡くなったとはいっても、もうだいぶ前のことだったらしい。それを黙ったままで普段通りに仕事にやってきていた彼の姿が、目に浮かぶようではないか。思い返してみれば、長年のつきあいである。お互いに歳をとったものだなと、そのことにも作者はあらためて感じ入っているのだ。シチュエーションは違うけれど、例年十二月になると、多くの人が何人かの訃報を受け取ることになる。「喪中につき」年末年始の欠礼を知らせる葉書が届くからだ。既に私のところにも何葉か届いていて、同世代の友人からのものだと、亡くなった方が親の場合、享年は八十代後半以上の方々ばかり。葉書を見ながらずいぶんと長生きされたなとは思うのだが、この方々はみなかつての戦争で苦労された世代である。詩人の北村太郎が「長生きしたからといって大往生などと言うな。死んだことも無いくせして……」と言ったように、とくにこの世代の死については、安易にそんなことは言えないだろう。楽しかるべき青春も知らずに、ただ苦労するためだけに生まれてきたような人たちだからである。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


November 30112004

 綿菓子の糸の先まで小春巻く

                           高井敏江

語は「小春」で冬。陰暦十月の異称で、まるで春のような穏やかな日和のつづくことから、小さな春と呼ばれるようになった。そんな日和の様子を捉えて、掲句は実に巧みだ。縁日か何かで綿菓子(わたあめ)を売っている。機械でくるくると巻かれていくのが、小春そのもののように、作者は感じている。それも、細い「糸の先まで」巻かれていくと言うのである。いかにも柔らかく繊細な小春のありようが、綿菓子との取り合わせにぴったりと溶け合っているではないか。こんな感受性を持っていたならば、さぞかし日常的にいろいろな発見ができて楽しいだろう。羨ましい限りである。またぞろ貧乏話で恐縮だが、私は子供のときに綿菓子を食べたことがなかった。村祭りの屋台には出ていたが、高すぎて買えなかった。いつかは食べてみたいと思いながら、実際に口にしたのは三十歳を過ぎてからである。子供がよちよち歩きをはじめたころに、町のお祭りで子供のために買うふりをしながら、実は自分のために手にしたのだった。どきどきしながら口にしたことを覚えている。正直言って美味いとは思わなかったけれど、持って歩いているだけで華やいだ気分になれることに満足した。どこのどなたの発明かは知らないが、あれはたいした発明である。さっき綿菓子機の値段を調べてみたら、ちょっとしたものでも十万円以上はしていた。一般家庭で、気軽に小春を巻くわけにはいかないようだ。『新版俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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