川崎洋さんの最後の本『魚の名前』(いそっぷ社)が出ました。本の作りも素敵です。




2004ソスN12ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 03122004

 廚の灯おのづから点き暮早し

                           富安風生

語は「暮早し」で冬。年の暮れのことを言うのではなく、冬時の日暮れの早さを言う。「短日」の傍題。句のミソはむろん「おのづから点(つ)き」にある。いかにも言い得て妙。「廚(くりや)の灯」が「おのづから」点くことなどないわけだが、まだこんな時間なのにもう灯が点いているという小さな驚きが、それこそ「おのづから」口をついて出てきた恰好だ。昔の食事の仕度にはかなりの時間を要したので、どの家でもたいがいは台所から点灯されたものである。それに、台所自体が昼でも薄暗い構造の家が多かった。めったに使わない客間などを明るく作ったのは、いったいどんな考えからなのだろうかと、いまどきの若い人なら訝しく思うに違いない。が、現代的なダイニング・キッチンの意識が定着してから、かれこれ三十年くらいだろうか。こうした俳句の味が実感的にわかる人は、まだたくさんおられるけれど、いずれは難解句になってしまいそうだ。あたりがある程度の暗さになると、本当に電気が「おのづから」点く装置(我が西洋長屋の廊下には、何年も前から取り付けられている)も、そのうちに普及してくるだろうし、そんなことを考えると掲句の寿命も目の前である。古い日本の抒情の池も、急速に干上がってきつつあるということだろう。(清水哲男)


December 02122004

 寒牡丹撮るとき男ひざまづく

                           折戸恭子

語は「寒牡丹(かんぼたん)」で冬。藁でかこって育て、厳冬にも花を咲かせる。花の写真撮影を趣味にする人は多い。近所の神代植物公園に行くと、薔薇の季節などはカメラの砲列状態だ。デジカメではなく、ほとんどが三脚を立て、フィルムを装填した高価そうなカメラで撮影している。が、寒牡丹のように背丈の低い花は、脚を立てるわけにはいかないので、句のように手持ちで撮らざるを得ない。このときに、どれだけ撮影に熱中しているかが、撮影者の姿勢にあらわれるのだ。ついでにこの花もちょっと押さえておこうくらいの軽い気持ちの人は、適当にかがんで撮る。だが、熱くなっている人はまさに「ひざまづく」のである。地面の冷えやズボンが汚れるなんぞは何のその、この姿勢のほうが手ぶれを最小限にとどめられるし、かがむよりもよほど被写体に肉薄できる。気がつけば、知らず知らずにそんな姿勢になっていたということだろう。作者にはその様子が、何か「男」が神々しいものに「ひざまづく」かのようにも重なって見えたというのである。むろんカメラの男にそんな気はないはずだけれど、人の熱中している姿には、たしかに敬虔な心映えといったものを感じさせられる。「ひざをつく」としなかった作者の目は、確かだ。ピュアであることは美しい。ピュアだけでは生きられない人間社会だからこそ、そうなのである。俳誌「街」(2004年12月号)所載。(清水哲男)


December 01122004

 植木屋の妻の訃知りぬ十二月

                           沢木欣一

頃は寡黙な出入りの「植木屋」が、珍しく話しかけてきた。「妻の訃(ふ)」を告げて、おそらくは年末年始の挨拶を遠慮させてもらうと言ったのだろう。「十二月」ならではの光景である。作者も彼女にはいささかの面識があり、驚いて問い直すと、今年亡くなったとはいっても、もうだいぶ前のことだったらしい。それを黙ったままで普段通りに仕事にやってきていた彼の姿が、目に浮かぶようではないか。思い返してみれば、長年のつきあいである。お互いに歳をとったものだなと、そのことにも作者はあらためて感じ入っているのだ。シチュエーションは違うけれど、例年十二月になると、多くの人が何人かの訃報を受け取ることになる。「喪中につき」年末年始の欠礼を知らせる葉書が届くからだ。既に私のところにも何葉か届いていて、同世代の友人からのものだと、亡くなった方が親の場合、享年は八十代後半以上の方々ばかり。葉書を見ながらずいぶんと長生きされたなとは思うのだが、この方々はみなかつての戦争で苦労された世代である。詩人の北村太郎が「長生きしたからといって大往生などと言うな。死んだことも無いくせして……」と言ったように、とくにこの世代の死については、安易にそんなことは言えないだろう。楽しかるべき青春も知らずに、ただ苦労するためだけに生まれてきたような人たちだからである。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)




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