昨日は武蔵野市の子供たちと生放送。秋に出会った福井の子供たちとは社交性が違った。




2004ソスN12ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 05122004

 反論のありて手袋はづしけり

                           西村弘子

語は「手袋」で冬。これは、ただならぬ雰囲気ですぞ。喧嘩ではないにしても、その寸前。と、掲句からうかがえる。作者自身のことを詠んだのかどうかは知らねども、句を見つけた俳誌「鬼」(2004/No.14)に、メンバーの野間一正が書いている。「弘子さんは、意見をはっきり述べ納得するまで自説を曲げない。一方、頭脳明晰、理解早く、後はさばさば竹を割ったようなさっぱりとした性格の、大和撫子である」。いずれにしても、こういうときの女性特有の仕草ではあるだろう。男が「手袋」をはずしたって、別にどうということはない。ほとんど何のシグナルにもならない。しかし、女性の場合には何かが起きそうな気配がみなぎる。状況としては、相手と一度別れるべく立ち上がり、手袋をはめたのだが、立ち上がりながらの話のつづきに納得できず、もう一度坐り直すという感じだ。周囲に知り合いがいたら、はらはらするばかり。知り合いが男の場合には、口出しもならず、ただおろおろ。決して喧嘩ではないのだけれど、私も周囲の人として遭遇したことは何度かあって、疲れている場合には内心で「いい加減にしろよ」とつぶやいたりしていた。でも、女性がいったんはめた手袋をはずすだけで、その場の雰囲気が変わるのは何故だろうか。それだけ、女性と装いというのは一心同体なのだと、いかにも知ったふうな解釈ですませてもよいのだろうか。ううむ。『水源』(2004)所収。(清水哲男)


December 04122004

 おでん煮る玉子の数と頭数

                           奥村せいち

語は「おでん」で冬。「煮込み田楽」の略称(って、ご存知でしたか)。昔の関西では「関東だき」と言っていたけれど、いまではどうだろうか。句意は明瞭。どこの家庭でも、おでんの大きな具は人数分だけ煮る。当たり前と言えば当たり前だ。が、ここに着眼して詠んだ作者の気持ちには、この当たり前を通じて、庶民の暮らしのつつましさ全体を表現したいという意図がある。おそらくは、かつての食糧難時代を経験された方だろう。いまでこそ食べようと思えばいくつでも食べられる玉子だが、当時はとても高価で、なかなか口に入らなかった。現在「頭数」分だけ煮るのは、むろん食糧難を思い出してのことではないけれど、しかしどこかに過剰な贅沢に対する躊躇の意識があって、そうしていると言えなくもない。食糧難の記憶は、体験者個々人のそれを越えて、社会的なそれとして残存しているような気がする。だからまず現在の家計にはほとんど影響しない玉子でも、依然として一人一個ずつなのではなかろうか。作者のような目で生活を見つめてみると、他にも同じようなことが発見できそうだ。個人が忘れ去ったこと、あるいは体験しなかったことでも、社会が代々受け継いで覚えているという証が……。掲句に、そういうことを考えさせられた。俳誌「航標」(2004年12月号・「今年の秀句五句選」欄)所載。(清水哲男)


December 03122004

 廚の灯おのづから点き暮早し

                           富安風生

語は「暮早し」で冬。年の暮れのことを言うのではなく、冬時の日暮れの早さを言う。「短日」の傍題。句のミソはむろん「おのづから点(つ)き」にある。いかにも言い得て妙。「廚(くりや)の灯」が「おのづから」点くことなどないわけだが、まだこんな時間なのにもう灯が点いているという小さな驚きが、それこそ「おのづから」口をついて出てきた恰好だ。昔の食事の仕度にはかなりの時間を要したので、どの家でもたいがいは台所から点灯されたものである。それに、台所自体が昼でも薄暗い構造の家が多かった。めったに使わない客間などを明るく作ったのは、いったいどんな考えからなのだろうかと、いまどきの若い人なら訝しく思うに違いない。が、現代的なダイニング・キッチンの意識が定着してから、かれこれ三十年くらいだろうか。こうした俳句の味が実感的にわかる人は、まだたくさんおられるけれど、いずれは難解句になってしまいそうだ。あたりがある程度の暗さになると、本当に電気が「おのづから」点く装置(我が西洋長屋の廊下には、何年も前から取り付けられている)も、そのうちに普及してくるだろうし、そんなことを考えると掲句の寿命も目の前である。古い日本の抒情の池も、急速に干上がってきつつあるということだろう。(清水哲男)




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