定率減税問題。金が無くなったら国民から吸い上げる。ちったあ国も企業努力をしろよ。




2004ソスN12ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 15122004

 惜別の榾をくべ足しくべ足して

                           高野素十

語は「榾(ほた)」で冬。囲炉裏や竃に用いる焚き物。枯れ枝や木の切れ端など。今宵限りで長い別れとなる友人と、囲炉裏端で酒を酌み交わしているような情景だろう。「くべ足し」のリフレインに、なお別れがたい心情が切々と響いてくる。囲炉裏の火勢が弱まると、それを潮に相手が立ち上がりそうな気がして、せっせと「榾」をくべ足しているのだ。惜別の情止み難く「まだ宵の口だ、もう少し飲もうじゃないか」と、口にこそ出さないが、くべ足す行為がそのことを告げている。くべ足すたびに強まる榾火に、友情が厚く輝く。詠まれたのは戦前だ。惜別に至る事情はわからないが、たとえば友人が外地に赴任するというようなことかもしれない。現在とは違い、外国に行くとなると、もう二度と会えないかもしれないという思いも強かったろう。なにしろ、交通の便がよろしくない。いまのように、ジェット機でひとっ飛びなんてわけにはいかない。多少の時間をかければどこにでも行けるようになった現今では、それに反比例して、惜別の情も薄くなってきたと言うべきか。この句が載っている処女句集の序文で、虚子は「磁石が鉄を吸う如く自然は素十君の胸に飛び込んでくる。文字の無駄がなく、筆意は確かである。句に光がある。これは人としての光である」と絶賛している。同感だ。「榾」で、もう一句。「大榾をかへせば裏は一面火」。顔面がカッと熱くなる。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)


December 14122004

 冬夕焼しばしロスコが来てをりぬ

                           井田美知代

Rothko
語は「冬(の)夕焼」。冬の夕焼けは、たちまち薄れてしまう。そこを「しばしロスコ」が来ているかのようだと言い止めた。さもありなん。残念ながら私は実際の絵は見たことがないのだけれど、たしかに冬夕焼けは左の図版(ポスター)にあるように、ロスコの醸し出した雰囲気や色調によく似ている。ゴッホに似ているとかミレーに似ているとかと、しばしば私たちは現実の光景を画家の作品になぞらえて感じることがある。が、掲句では似ているという域を超えて、そこにあたかも画家自身が立っているようだと言っているわけだ。画家と一緒に夕焼けを仰いでいるのである。この束の間の共生感がとても鮮やかで、心に沁みた。マーク・ロスコ(Mark Rothko)は、日本ではあまりポピュラーとは言えないだろう。20世紀、ソ連出身のアメリカの画家だ。微妙な色彩、色面と色面を区切る茫洋とした線を特色とする画面は、「アクション・ペインティング」とも「ハードエッジ」の抽象画とも一線を画した、ロスコ独特のもので、不思議な詩情と崇高さを湛えている。アメリカでは、コマーシャル的な空間にも大作を描いている。日本には、千葉県佐倉市の川村記念美術館に、四面の壁に連作を掛け並べた「ロスコ・ルーム」があるそうだ。1970年に謎の自殺を遂げている。六十六歳だった。『雛納』(2004)所収。(清水哲男)


December 13122004

 わが影を壁に見てゐる炬燵かな

                           大崎紀夫

語は「炬燵(こたつ)」。孤影。というと大袈裟になるが、深夜、ふっとおのれが一人きりになった感じを言い止めている。これがリタイアした高齢者の句だとさして面白みは無いけれど、このときに作者は四十代の後半だ。まさに、働き盛りである。日頃の仕事や雑事に追われて、自分を顧みる余裕などはなかなか無い。それが、自宅の炬燵でくつろいでいるうちに、いつの間にか壁に写った「わが影」を見ている自分がいた。これがオレなのか……。壁の影を見つめる行為には、鏡を見るのとは違って何の目的も無い。だからこそ余計に、さまざまなことに思いが至るきっかけになる。オレはいったい何をしているのか、何をしてきたのか……。自分の存在が卑小にも見え、心はかじかんでくる。明日になればケロリと忘れてしまう感慨ではあろうが、この種のひとりぼっちの実感を持つことは、その人の幅を育てるだろう。以下雑談だが、掲句から作者の部屋の炬燵の置かれた位置がわかる。かなり壁際に近い場所に置かれてないと、横の壁に自分の影は写らない。もちろん他の家具の配置との関係もあるが、たいていのお宅ではそのように置かれているのではあるまいか。そして来客のあるときだけ、真ん中辺に持ってくる。でも、部屋の真ん中にある炬燵は、何故か落ち着かないものですね。旅館などで真ん中に置かれていると、私は必ず壁際にずるずると移動させてからあたることにしています。貧乏性なのかなあ、とても殿様の器ではない。『草いきれ』(2004)所収。(清水哲男)




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