最後の忘年会は新宿の「けとばし屋」で。それにしてもクリスマスに馬肉を喰らうとは。




2004ソスN12ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 25122004

 縄跳のこゑつづくなり泪ふと

                           藤田湘子

語は「縄跳(なわとび)」で冬。最近は、とんとお目にかからない。したがって「縄跳のこゑ」も、もう何年も聞いていない。いつごろの作かはわからないが、縄跳あそびが下火になってからの句ではあるまいか。珍しく、縄跳に興ずる女の子たちの声が聞こえてきた。聞くともなく聞いていると、飽きもせずに長い間、同じ歌を繰り返している。そのうちに「こゑ」に触発されて、昔よく見かけた縄跳の情景が思い返されたのだろう。そして思い返すのは、単に女の子たちが遊んでいた様子だけではなくて、その時期の自分の状況だとか家庭や周辺の事情などもろもろのことどもである。それで往時茫々の感が徐々に胸を突いてきて、「ふと」うっすらと泪ぐんだと言うのだ。いつまでもどこまでも単調につづく縄跳うた……。それだけに忘れられないメロディでもあり、哀感も入り込みやすい。「泪ふと」の措辞は、思いがけないことが自分に起きたことを短く言い止めていて絶妙だ。縄跳うたは各地にいろいろとあるようだけれど、私がよく覚えているのは「♪おじょうさん、お入んなさい……」と「♪郵便屋さん、はよ走れ……」の二つだ。ちょっと歌ってみたら、あやふやなところもあるが何とか歌えた。小声で歌っているうちに、泪こそしなかったが、心がしんとなってきた。みんな、どうしてるかなあ。なお、珍しい英語の縄跳うた(?)がここで紹介されています。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


December 24122004

 火が熾り赤鍋つつむクリスマス

                           小松道子

ち着くところ、このあたりが現代日本家庭でのクリスマスイブの過ごし方だろうか。「聖菓切るキリストのこと何も知らず」(山口波津女)でも、それで良いのである。家族で集まって、ちょっとした西洋風のご馳走を食べる。「赤鍋(あかなべ)」は銅製の鍋だから、句のご馳走は西洋風鍋料理だろう。「火が熾(おこ)り」、炎が鍋をつつむようになると、みんなの顔もぱっと赤らむ。ここで、ワインの栓を抜いたりする。TVコマーシャルにでも出てきそうなシーンだが、ささやかな幸福感が胸をよぎる頃合いである。その雰囲気が、よく伝わってくる。しかし私など、クリスマス行事そのものを小学校中学年で知った世代にとっては、こうした情景にまさに隔世の感を覚える。信じられないかもしれないが、私は十歳くらいまでサンタクロースを知らなかった。絵で見たこともなかった。物心つくころには戦争中だったので、少し上の世代ならば誰もが知っていた西洋常識とは、不運にも遮断されてしまっていたわけだ。そしてクリスマスのことを知ってからも、しばらくはイブというと大人たちがキャバレーなどで大騒ぎするイメージが一般的だった。キリスト者の景山筍吉が詠んだ「大家族大炉を囲む聖夜哉」というような情景は、ごく稀だったろう。「針山に待針植えて妻の聖夜」(原子公平)。いささかの自嘲が籠っている感じはするけれど、こちらが一般的だったと言える。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


December 23122004

 師のたより待つ数へ日の数へごと

                           深谷雄大

語は「数へ日」。年も押し詰まって、残る日数が指を折って数えられるほどになった頃のこと。今年も、あと十日を切ってしまった。年用意などあまりしない私だが、それでもやはり少々焦ってくる。日に何度かは、あと何日とカレンダーで確認したりしている。句の作者は、そんな「数へ日」のなかで「師」から来るはずの「たより」を待っている。年末くらいまでという約束で、何かをお願いしているのだろう。依頼の中味は、早く届けば早いほど嬉しい性質のものに違いない。しかし、誰もが忙しい歳末だ。電話で催促がましい事を言うのもはばかられて、今日か明日かとただひたすら待つしかないのである。すなわち、「数へ日」のなかの別の「数へごと」にも心を砕いている……。年末の「数へ日」のなかに、いわば年末とは限らない日常的な「数へ日」が混在している恰好だ。言われてみればこういうこともありうるわけで、多く「数へ日」の句が年用意の多忙に焦点を絞って詠まれているなかでは、目のつけどころが面白い。しかも相手が「師走」の「師」とくれば、にやりとさせられた読者もいるのではなかろうか。ところで「数へ日」という季語が定着したのは、意外なことに三十年ほど前のことだという。まだ新しい季語なのだ。なるほど、手元の1950年代に刊行された角川版歳時記には載っていない。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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