年に一度の大量の宛名書き。簡単な漢字が書けなかったり、自信が持てなかったり…と。




2004ソスN12ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 27122004

 十二月肉屋に立ちて男の背

                           正木浩一

の「十二月」は、年も押し詰まってきたころを思わせる。奥さんにでも、買い物を頼まれたのだろうか。ふだんなら主婦の姿しか見かけない「肉屋」の店先に、ひとり「男」が立っている。通りがかりの作者はオヤッと一瞥したに過ぎないが、彼の「背」からなんとなく躊躇しているような様子が読み取れてしまった。作者の直感は、まず間違いなく当っているだろう。こういうときの背中は雄弁なのだ。そしてこれも、微笑ましい歳末風景の一齣である。実際、慣れない場所にいる人というのは、表情を読むまでもなく、すぐにわかってしまう。日頃から人が集まる場所には、それなりに形成される自然の流れというものがあり、慣れない人にはその流れが身体でつかめないからだ。だから、動きがギゴチなくなる。広いスーパーマーケットであろうと、狭い肉屋であろうと同じこと。どこで、何をどうするか。頭でわかっているだけでは、身体をスムーズに流れに乗せることはできない。反対に慣れた空間では、頭よりも身体が先に動くという具合に行動できる。これはおそらく、慣れた場所では身体の各部に遊びがあるからに違いない。目的に向かって一直線ではなく、自然なふるまいというものは身体的な遊びが起こさせるのだと思う。どんなに良く出来たロボットでも、どこか動作がギゴチないのは遊びが足らないせいではなかろうか。すなわち、身体の無駄な遊びが無駄のない動きを作り出すということだろう。『正木浩一句集』(1993)所収。(清水哲男)


December 26122004

 お返しは小燐寸一つ餅配

                           池田世津子

語は「餅配(もちくばり)」で冬、「餅搗(もちつき)」に分類。家で搗いた餅がまだ柔らかいうちに、あんころ餅、からみ餅などにしてご近所や親戚などに配ること。スーパーなどで簡単にパック入りの餅が買えるいまでは、餅搗きもしないので餅配りの風習もすっかり姿を消してしまった。私が子供の時分には、このちょっとしたお裾分けが楽しみでもあり、ああお正月がやってくるのだという実感がわいてくるのでもあった。句にあるように、配られる側は何か必ずとりあえずの「お返し」をしたもので、普段からこういうときのために、実はあらかじめ品物を用意しておく。といって、あまり大袈裟なお返しもはばかられるので、如何にもありあわせのものという印象を与えるような小物類である。「小燐寸」(マッチの小箱)だとか煙草だとか、気軽に渡せるものが適当で、子供が届けにきた場合には飴玉の類も準備されていた。母はよく小さなお返しでも「気は心」だと言っていたが、その通りだろう。味噌や醤油でも貸し借りのあった時代である。近所付き合いは持ちつ持たれつの関係が密だったから、こうした風習も根付いていたわけだ。デパートからポンと物を贈り、お返しもまたポンでは便利ではあるけれどあまりに味気ない。「気」が伝わらないのである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


December 25122004

 縄跳のこゑつづくなり泪ふと

                           藤田湘子

語は「縄跳(なわとび)」で冬。最近は、とんとお目にかからない。したがって「縄跳のこゑ」も、もう何年も聞いていない。いつごろの作かはわからないが、縄跳あそびが下火になってからの句ではあるまいか。珍しく、縄跳に興ずる女の子たちの声が聞こえてきた。聞くともなく聞いていると、飽きもせずに長い間、同じ歌を繰り返している。そのうちに「こゑ」に触発されて、昔よく見かけた縄跳の情景が思い返されたのだろう。そして思い返すのは、単に女の子たちが遊んでいた様子だけではなくて、その時期の自分の状況だとか家庭や周辺の事情などもろもろのことどもである。それで往時茫々の感が徐々に胸を突いてきて、「ふと」うっすらと泪ぐんだと言うのだ。いつまでもどこまでも単調につづく縄跳うた……。それだけに忘れられないメロディでもあり、哀感も入り込みやすい。「泪ふと」の措辞は、思いがけないことが自分に起きたことを短く言い止めていて絶妙だ。縄跳うたは各地にいろいろとあるようだけれど、私がよく覚えているのは「♪おじょうさん、お入んなさい……」と「♪郵便屋さん、はよ走れ……」の二つだ。ちょっと歌ってみたら、あやふやなところもあるが何とか歌えた。小声で歌っているうちに、泪こそしなかったが、心がしんとなってきた。みんな、どうしてるかなあ。なお、珍しい英語の縄跳うた(?)がここで紹介されています。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)




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