December 282004
古暦あへなく燃えてしまひけり
成瀬櫻桃子
季語は「古暦」で冬。本当は昨年の暦のことだが、年も押し詰まって新しい暦を入手すると、これまで使用してきたものが古く感じられることから、今年の暦も指す。俳句では、たいてい後者の意で使われているようだ。昔の我が家でもそうだったが、暮れの大掃除があらかた終わると、裏庭などで焚火をした。燃やせるゴミは、そこで燃やしてしまおうというわけだ。燃やせないゴミは、穴を掘って埋めたりした。だが、ただどんどん燃やしていくのではなく、年の瀬の気持ちとしては「ねんごろに古きもの焼き年惜しむ」(森絢子)と、普段よりもていねいな燃やし方になる。とくに手紙やノートの類だとか雑誌などになると、その年の思いが籠っているので、より「ねんごろ」にならざるを得ない。むろん「古暦」についても同じことで、掲句の作者は同じ気持ちで燃やしたのだったが、予想以上に早く「あへなく」灰になってしまったというのである。もう少しゆっくりと燃えてくれればよかったのに、なんだか、この一年があっけなく終わってしまったような感じがしてくるじゃないか……。一般的に、雑誌などの紙の束はなかなかすんなりとは燃えてくれない。が、この時期の暦の場合はほとんど台紙だけになっているので、紙束を燃やすようなイメージを持って焼くと、意外にあっけなくて拍子抜けしてしまうほどだ。おそらく作者の場合も、そういうことだったに違いない。『風色』(1972)所収。(清水哲男)
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