買い物などほとんどないけれど街をのぞいてみようかな。年の瀬の混雑は嫌いではない。




2004ソスN12ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 30122004

 搗きたての冬雲の上ふるさとへ

                           正木ゆう子

語は「冬(の)雲」。いまや「ふるさと」へも飛行機で一っ飛びの時代だ。帰省ラッシュは今日もつづく。句のように、弾んだ心で乗っている人もたくさんいるだろう。地上から見上げると空を半ば閉ざしている暗い冬の雲も、上空から見下ろせば、日の光を浴びてまぶしいほどに真っ白だ。そのふわふわとした感じを含めて、作者はまるで「搗きたての」餅のようだと詠んでいる。いかにも子供っぽい連想だが、それだけ余計に読者にも楽しい気分が伝わってくる。ただしこの楽しさは、私のような飛行機苦手男には味わえない(笑)。なんとも羨ましい限りである。話は句から離れるが、その昔、ぎゅう詰めの夜行列車に乗っていて、よくわかったことがあった。周囲の人の話を聞くともなく聞いていると、帰省ラッシュとはいっても、楽しい思いで乗っている人ばかりじゃないということだった。年末年始の休暇を利用して厄介な話し合いのために帰るらしい人がいたり、都会暮らしを断念して都落ちする人がいたりと、乗客の事情はさまざまだ。そんな人たちを皆いっしょくたにして、テレビ・ニュースは帰省の明るさだけを強調するけれど、あのように物事を一面的楽天的にとらえるメディアとは何だろうか。そこで危険なのは、私たち視聴者がそうした映像に引きずられ慣れてしまうことだ。何も考えずに、物事に一面的楽天的に反応してしまうことである。テレビは、生活のための一つの道具でしかない。その道具に、私たちの感受性をゆだねなければならぬ謂れは無い。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)


December 29122004

 吹きたまる落葉や町の行き止まり

                           正岡子規

語は「落葉」。歳末風景とは限らないが、押し詰まってきたころに読むと、ひとしお実感がわく。どこか侘しくも淋しい雰囲気があって、それがまた往く年を惜しむ気持ちにふんわりと重なるからだ。今年の落葉は遅めのようで、我が町ではまだ銀杏の葉が盛んに散っている。よく行く図書館への道筋に、ちょうど「行き止まり」の場所があって、まさに掲句のような感じだ。日頃はボランティアで掃除をしている老人も、最近は寒いせいか見かけない。となれば落葉はたまる一方で、ときおり風に煽られてはかさこそと音を立てている。しかし私は、きれいに掃除された町よりも、落葉がたまっているような場所が好きだ。汚いと言って、眉をひそめる人の気が知れない。というよりも、そもそも落葉を汚いと感じる神経がわからない。最近では隣家の落葉に苦情を言いにいく人もいるそうで、いったい日本人の審美眼はどうなっちゃってるのだろうか。句に戻れば、この風情は今日(きょう)あたりからの「町」ならぬ「街」でも味わえる。潮のように人波が引いてしまった官庁街やビジネス街を通りかかると、あちこちに落葉が吹きたまっている。年末年始とも、長い間麹町の放送局で仕事をしていたので、そんな侘しい光景は何度も目撃した。たしかに侘しいけれど、なにか懐かしいような気分もしてきて、実は密かな私の楽しみなのであった。高浜虚子選『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)


December 28122004

 古暦あへなく燃えてしまひけり

                           成瀬櫻桃子

語は「古暦」で冬。本当は昨年の暦のことだが、年も押し詰まって新しい暦を入手すると、これまで使用してきたものが古く感じられることから、今年の暦も指す。俳句では、たいてい後者の意で使われているようだ。昔の我が家でもそうだったが、暮れの大掃除があらかた終わると、裏庭などで焚火をした。燃やせるゴミは、そこで燃やしてしまおうというわけだ。燃やせないゴミは、穴を掘って埋めたりした。だが、ただどんどん燃やしていくのではなく、年の瀬の気持ちとしては「ねんごろに古きもの焼き年惜しむ」(森絢子)と、普段よりもていねいな燃やし方になる。とくに手紙やノートの類だとか雑誌などになると、その年の思いが籠っているので、より「ねんごろ」にならざるを得ない。むろん「古暦」についても同じことで、掲句の作者は同じ気持ちで燃やしたのだったが、予想以上に早く「あへなく」灰になってしまったというのである。もう少しゆっくりと燃えてくれればよかったのに、なんだか、この一年があっけなく終わってしまったような感じがしてくるじゃないか……。一般的に、雑誌などの紙の束はなかなかすんなりとは燃えてくれない。が、この時期の暦の場合はほとんど台紙だけになっているので、紙束を燃やすようなイメージを持って焼くと、意外にあっけなくて拍子抜けしてしまうほどだ。おそらく作者の場合も、そういうことだったに違いない。『風色』(1972)所収。(清水哲男)




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