天災人災を取り混ぜて、こんなにひどかった年は戦後はじめてだ。来年こそは佳い年に。




2004ソスN12ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 31122004

 除夜の月機械に注連を張りおわる

                           飴山 實

うした「除夜」の光景も、そんなに珍しいことではなかった。1956年(昭和三十一年)の句。戦後も、まだ六年目だ。大晦日まで「機械」を稼働させて、暗くなってからやっと仕事が終わり、ともかくも新年を迎えるための「注連(しめ)」を張り終わった。いわゆる一夜飾りは良くないと知ってはいるものの、生活のためには、そんなことを言ってはいられない。張り終えてほっと安堵した目に、仕事場の窓を通して、冴えかえる小さな月が認められた。来るべき年にさしたる目算もないけれど、どうか佳い年であってくれますように……。そんな思いが、自然に湧いてくる。このとき、作者は三十歳。「俳句をつくっていく中で、歴史を動かす一モメントとしての自分の位置と力を探りだし、確かめていきたい」と書く。この気概、現代俳人にありや、無しや。話は変わるが、除夜といえば除夜の鐘。アメリカ流のカウントダウンなどとは違って、撞きだす時刻は特に定まってはいない。おおよそ午前零時近くになって撞くわけだが、これにはもとより理由がある。というのも、現代の私たちは一日を「朝から」はじまるととらえているが、昔の日本人は「夜から」はじまると考えていた。つまり、日暮れてくると、もうそこにはかすかに「明日」が兆してくるのである。だから、午前零時ぴったりで日付が変わるという観念は薄く、今日と明日とはグラデーションのように徐々に移り変わってゆく。したがって、鐘撞きの開始を時計に合わせる必要はないというわけだ。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)


December 30122004

 搗きたての冬雲の上ふるさとへ

                           正木ゆう子

語は「冬(の)雲」。いまや「ふるさと」へも飛行機で一っ飛びの時代だ。帰省ラッシュは今日もつづく。句のように、弾んだ心で乗っている人もたくさんいるだろう。地上から見上げると空を半ば閉ざしている暗い冬の雲も、上空から見下ろせば、日の光を浴びてまぶしいほどに真っ白だ。そのふわふわとした感じを含めて、作者はまるで「搗きたての」餅のようだと詠んでいる。いかにも子供っぽい連想だが、それだけ余計に読者にも楽しい気分が伝わってくる。ただしこの楽しさは、私のような飛行機苦手男には味わえない(笑)。なんとも羨ましい限りである。話は句から離れるが、その昔、ぎゅう詰めの夜行列車に乗っていて、よくわかったことがあった。周囲の人の話を聞くともなく聞いていると、帰省ラッシュとはいっても、楽しい思いで乗っている人ばかりじゃないということだった。年末年始の休暇を利用して厄介な話し合いのために帰るらしい人がいたり、都会暮らしを断念して都落ちする人がいたりと、乗客の事情はさまざまだ。そんな人たちを皆いっしょくたにして、テレビ・ニュースは帰省の明るさだけを強調するけれど、あのように物事を一面的楽天的にとらえるメディアとは何だろうか。そこで危険なのは、私たち視聴者がそうした映像に引きずられ慣れてしまうことだ。何も考えずに、物事に一面的楽天的に反応してしまうことである。テレビは、生活のための一つの道具でしかない。その道具に、私たちの感受性をゆだねなければならぬ謂れは無い。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)


December 29122004

 吹きたまる落葉や町の行き止まり

                           正岡子規

語は「落葉」。歳末風景とは限らないが、押し詰まってきたころに読むと、ひとしお実感がわく。どこか侘しくも淋しい雰囲気があって、それがまた往く年を惜しむ気持ちにふんわりと重なるからだ。今年の落葉は遅めのようで、我が町ではまだ銀杏の葉が盛んに散っている。よく行く図書館への道筋に、ちょうど「行き止まり」の場所があって、まさに掲句のような感じだ。日頃はボランティアで掃除をしている老人も、最近は寒いせいか見かけない。となれば落葉はたまる一方で、ときおり風に煽られてはかさこそと音を立てている。しかし私は、きれいに掃除された町よりも、落葉がたまっているような場所が好きだ。汚いと言って、眉をひそめる人の気が知れない。というよりも、そもそも落葉を汚いと感じる神経がわからない。最近では隣家の落葉に苦情を言いにいく人もいるそうで、いったい日本人の審美眼はどうなっちゃってるのだろうか。句に戻れば、この風情は今日(きょう)あたりからの「町」ならぬ「街」でも味わえる。潮のように人波が引いてしまった官庁街やビジネス街を通りかかると、あちこちに落葉が吹きたまっている。年末年始とも、長い間麹町の放送局で仕事をしていたので、そんな侘しい光景は何度も目撃した。たしかに侘しいけれど、なにか懐かしいような気分もしてきて、実は密かな私の楽しみなのであった。高浜虚子選『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)




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