直木賞候補に久しぶりに既読の作家。米軍兵士として参戦した日系人を描いた古処誠二。




2005ソスN1ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0812005

 枯野ゆく徒手空拳も老いにけり

                           吉田汀史

語は「枯野」で冬。若い人が読むと、「枯野」と「徒手空拳」は付き過ぎ、あるいは出来過ぎと感じるかもしれない。いや、そう読むのがむしろノーマルだろう。なぜなら、若い人は病者を除いて、本当の意味での「徒手空拳」がわからないからである。つまり、日常的に自分の身体のありようを意識することがほとんどないからなのだ。したがって、他に何物をも持たず我が身一つをたのむという「徒手空拳」を、身体よりも気概に重きを置いて理解する。ところがある程度の年輪を重ねてきた人は、逆に身体に重きを置く。そうせざるを得ない。身体の老いの自覚は日常的になり、それだけ孤独感も深まってくる。字義どおりの「徒手空拳」で生活をつづける身にとっては、もはや「枯野ゆく」の孤独も比喩というよりは実感に近いのである。作者に比べれば、私などはまだまだ若造でしかないけれど、だんだんこういう句が見逃せなくなってきた。話は少しねじれるが、若者にとって最も理解し難い老人の欲望の一つに名誉欲がある。むろん掲句とは無関係の一般論だが、一円にもならない何とか褒章などを欲しがったりする人がいる。理由は単純で、要するに徒手空拳であることが恐いのだ。褒章というメディアで世の中ともう一度つながることにより、「枯野」から脱け出して、我が身一つではないことを確認したいがためである。この心情を良く知っている国家とは、しかし何と狡猾なことか。俳誌「航標」(2005年1月号)所載。(清水哲男)


January 0712005

 人間天皇空に凧が上っています

                           内田南草

に「凧(たこ)」といえば春の季語だが、この場合は句意から推して別建ての「正月の凧」に分類しておく。戦後はじめてめぐってきた元日に、天皇の人間宣言が行われた。1946年(昭和二十一年)。「朕ハ爾等国民ト共ニ在リ。常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あらひとがみ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」。当時七歳の私には何の感慨の起きようもなかったけれど、大人たちには実に衝撃的な事態であったろう。反応は当然さまざまであったと思われるが、なかで掲句は当時の多くの庶民の気持ちを代弁していたと言ってもよいのではあるまいか。それまでの雲の上の存在が、同じ地平に降りてきたわけだから、今日からは同じように空を見上げる立場になった。正月の空といえば、まず「凧」である。人間天皇にいっしょに見上げようと呼びかけることで、戦後の大いなる開放気分をうたい込んだ句だ。今年は、敗戦から数えて六十年になる。あのときにこの開放感を抱いた庶民のその後の歴史は、どうであったか。そして、これからのこの国はどこへ行こうとしているのか。かつての戦争を知る人が少なくなってきた現在、このあたりで立ち止まってじっくりと考える必要がある。『財界歳時記』(1988)所載。(清水哲男)


January 0612005

 凭らざりし机の塵も六日かな

                           安住 敦

語は「六日」。元日から七日まではすべて季語として用いられてきたが、最近の歳時記では「六日」を外してしまったものが多い。実作で用いるにしても、掲句のように、正月が去っていくという漠然たる哀感を伝えることくらいしかできないからだろう。もはや、特別の日の感じは薄いのである。ところがどっこい、少なくとも江戸期まではとても重要な日とされていたようだ。上島鬼貫に「一きほひ六日の晩や打薺」がある。「薺(なずな)」は春の七種の一つだ。そこでお勉強。昔は六日の日を「六日年」とか「六日年越」と呼んで、もう一度年をとり直す日だった。つまり翌七日が「七日正月」の式日なので、それが強く意識され、六日の夕方には採ってきた薺などを切りながら歌をうたい祝ったという。♪七種なづな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に……。こうして準備した菜は、もちろん翌朝の七種粥に入れて食べる。すなわち、二度目の大晦日(年越し)だったというわけだ。このように私たちの祖先は何かにこと寄せては、生活のなかで楽しみを見出していた。庶民の知恵というものだろうが、我々現代人もまた、クリスマスだのバレンタインだのと西洋の言い伝えにまで凭(よ)っているのだから、似たようなものである。が、決定的に異なるのは、昔の日本人には楽しみはすべて八百万の神々によって与えられるものという意識が強かった点だろう。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)




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