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2005ソスN1ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1312005

 父の死や布團の下にはした銭

                           細谷源二

語は「布團(蒲団・ふとん)」で冬。ながらく寝たきりに近かった「父」が死んだ。長い間のべられたままだった「布團」をあげてみると、下からいくばくかの「銭」が出てきたというのである。それも、布団の下に大事にかくしておくほどでもない、ほんの「はした銭」だった。みっともないと突き放した詠みぶりだが、その哀れさが逆に父への親しみを増し、作者はうっすらと涙を浮かべているのではあるまいか。いまにはじまったことではないが、年寄りの金銭に対する執着には凄いものがある。何事につけ、最後に物を言うのは金だからだ。若いうちなら「金は天下の回りもの」ですむものが、社会的な経済サイクルから外に出てしまった老人には、そんな気休めは通用しない。収入はゼロであり、蓄えは減ってゆくばかりという生活が長ければ長いほど、よほどの資産家でもない限りは、生活の不安にさいなまれる。体力が衰え、家族としての役割も無くなっていくなかで、金さえあれば多少は人も相手にしてくれることを知っているから、たとえ「はした銭」であろうが握りしめて放さない。私くらいの年齢になれば、この心情は痛いほどによくわかる。他人事ではない。昨今の年金問題を考えるにつけ、政治家どもはこうした年寄りの不安を少しも理解していないなと、痛切に思う。いや、政治家だけとは言えないな。若くて元気な人々も、いずれはおのれが高齢になることを忘れているかのようだ。高齢者に対して、多く世間が偽善的にしかつきあわないのは、そのせいだとしか思えない。『俳句歳時記・冬の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


January 1212005

 学校に畳の間あり歌留多かな

                           森田 峠

語は「歌留多(かるた)」で新年。歌留多にもいろいろあるが、この場合は小倉百人一首だろう。掲句を読んで、そういえば「学校に畳の間」があったようなと思い出した。「ような」と曖昧なのは、学校の畳の間といえば女の子たち専用の裁縫室というところだったので、廊下の窓越しにちらりと見た程度だからだ。転校が多かったから、どこの学校の裁縫室かも覚えていない。でも、確かにあったような……。国語の授業の一貫だろうか、それともクラブ活動なのか。歌留多には畳が必要だから、当然のように裁縫室が使われているのだ。裁縫用の低くて長い机は隅のほうに片付けられ、花びらを散らしたように歌留多が撒かれ、このときばかりは男子生徒も裁縫室にいるのだろう。普段とは違う使われ方をする教室は、文化祭などでもそうだけれど、とても新鮮な感じがする。ましてやこのときは歌留多会なので、晴れ着の生徒はいないにしても、おのずから華やいだ雰囲気となり、学校ならではの正月風景となる。「歌留多かな」の「かな」には、一般の人には目に触れない正月風景を押し出す効果もあると感じた。さきごろ、今年の全国競技歌留多クイーンの座を中学生が獲得して話題になった。一般的には若い人に見向きもされない歌留多が、こうしたトピックからでも注目されるようになればいいなと思ったことである。『逆瀬川』(1986)所収。(清水哲男)


January 1112005

 手毬真つ赤堅き大地に跳ね返り

                           河内静魚

手毬
語は「手毬(てまり)」で新年。ゴム毬ではなく、写真のような「かがり毬」だ。観光地などの売店でよく見かけるが、今ではすっかり飾り物になってしまった。「丸めた綿やハマグリの殻、ぜんまい、いもがら、こんにゃく玉、山繭、砂、小鈴などを芯(しん)にして、その上を布に五色の絹糸や綿糸でかがったものを糸鞠(かがり鞠)といい、江戸時代から少女の遊び道具として発達した。芯にいろいろなものを入れたのは、鞠に弾力性をもたせるためで、なかにはかわいらしい音を出すようにくふうしたものもある。(C)小学館」。ついてみたことはないけれど、とてもゴム毬ほどの弾力性はないだろう。江戸期の女の子は立て膝でついて遊んだそうだが、さもありなん。そんな弾まない毬が、句では「堅き大地に」カーンと跳ね返っている。「堅き大地」は凍てついた大地を連想させ、毬はその大地に何か空恐ろしいような力で叩き付けられたのである。だから、あまり弾まない毬が予想外の高さにまで跳ね返った。そして、この光景に人の気配は感じられない。無人の大地に、ひとり跳ね返った手毬の「真つ赤」な姿だけが読者の目に焼き付けられる仕掛けだ。ゴム毬にはこうした幻想性はないが、このように日本古来の毬には、どこか私たちのイマジネーションをかき立ててくるようなところがある。『花鳥』(2002)所収。(清水哲男)




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