January 172005
金目鯛手に黒潮の迅さ言ふ
中村幸子
季語は「金目鯛」としておく。手元の歳時記を調べてみたが、この魚を季語としたものはなかった。が、金目鯛の漁期は十二月から三月ころまでなので、作者が冬を想定して詠んでいるのは明らかだ。実景だろう。見事な金目鯛を一本釣りで釣り上げてきた漁師がそれを両手に抱えるようにして、嬉しさを隠しきれないようなのだ。周りの人たちも、凄いなあと感嘆している。でも、彼は自分の腕前をストレートに自慢するのは照れ臭いので、しきりに「黒潮の迅(はや)さ」を言っている。つまり、如何に困難な条件下にあったかを言うことで、間接的に腕自慢をしているわけだ。こんな情景に出くわしたことはないけれど、私には日焼けした漁師の表情までもが目に浮かぶ。というのも、おそらくは別の場面で何度も似たような経験があるからなのだろう。いわゆる職人肌の人はおおむね照れ屋であり、自慢も婉曲に表現する場合が多い。画家などの芸術家にもそういう種類の人は多く、周囲が讃めるとなおさらに婉曲的になる。自分の能力のことは放っておいて、たとえば紙や顔料の入手に苦労した話ばかりをしたりするのだ。奥ゆかしいと言えば奥ゆかしいし、もどかしいと言えばもどかしい。こうした処世美学は、西欧人にはあまり通じないかもしれないと思う。いや日本でも、職場などで声高に能力の誇示が叫ばれはじめたからには、やがてこうした謙譲の美徳につながる姿勢は理解されなくなりそうだ。『笹子』(2005)所収。(清水哲男)
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