三鷹市では二月からゴミの分別がさらに細分化される。当面はマニュアルと首っ引きに。




2005ソスN1ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1712005

 金目鯛手に黒潮の迅さ言ふ

                           中村幸子

語は「金目鯛」としておく。手元の歳時記を調べてみたが、この魚を季語としたものはなかった。が、金目鯛の漁期は十二月から三月ころまでなので、作者が冬を想定して詠んでいるのは明らかだ。実景だろう。見事な金目鯛を一本釣りで釣り上げてきた漁師がそれを両手に抱えるようにして、嬉しさを隠しきれないようなのだ。周りの人たちも、凄いなあと感嘆している。でも、彼は自分の腕前をストレートに自慢するのは照れ臭いので、しきりに「黒潮の迅(はや)さ」を言っている。つまり、如何に困難な条件下にあったかを言うことで、間接的に腕自慢をしているわけだ。こんな情景に出くわしたことはないけれど、私には日焼けした漁師の表情までもが目に浮かぶ。というのも、おそらくは別の場面で何度も似たような経験があるからなのだろう。いわゆる職人肌の人はおおむね照れ屋であり、自慢も婉曲に表現する場合が多い。画家などの芸術家にもそういう種類の人は多く、周囲が讃めるとなおさらに婉曲的になる。自分の能力のことは放っておいて、たとえば紙や顔料の入手に苦労した話ばかりをしたりするのだ。奥ゆかしいと言えば奥ゆかしいし、もどかしいと言えばもどかしい。こうした処世美学は、西欧人にはあまり通じないかもしれないと思う。いや日本でも、職場などで声高に能力の誇示が叫ばれはじめたからには、やがてこうした謙譲の美徳につながる姿勢は理解されなくなりそうだ。『笹子』(2005)所収。(清水哲男)


January 1612005

 うそのやうな十六日櫻咲きにけり

                           正岡子規

語は「十六日桜(いざよいざくら・いざざくら)」で新年。前書きに「松山十六日櫻」とあるように、愛媛県松山市にある有名な桜だ。正月十六日(旧暦)に満開となる。一茶がこの桜を見に出かけ、「名だたる桜見んと、とみに山中に詣侍りきに、花は咲満たる芝生かたへにささえなどして、人々の遠近にあつまりたる……」と日記に記した。小泉八雲も『怪談』で紹介している。もっともこの桜は戦災で焼けて枯れてしまい、現在伝えられている樹は元の樹の実から育てたもので、満開は新暦三月初旬頃だそうだ。早咲きには違いないが、子規が見た頃のように「うそのやうな」早咲きぶりではない。掲句は明治二十九年(1896年)の作。既に体調がおもわしくなく「二月より左の腰腫れて痛み強く只横に寝たるのみにて身動きだに出来ず」という状態。それでも「四月初め僅かに立つことを得て」、「一日車して上野の櫻を見て還る」と花見に出かけていった。このときに詠まれた句だから、写生句ではない。上野の桜を見ているうちに、卒然と故郷の花を思い出したのだろう。誰にだって故郷贔屓の気味があるから、咲く時期の早さといい花の見事さといい、上野の花よりも十六日桜のほうに軍配をあげている。「うそのやうな」には、そんなお国自慢めいた鼻のうごめきが感じられる。が、内心では、もう一度あの花を見てみたいという望郷の念止み難いものもあったに違いない。べつに名句というような句ではないけれど、珍しい新年句として紹介しておく。『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)


January 1512005

 日の中に娘の町や初電車

                           佐分靖子

語は「初電車」で新年、「乗初(のりぞめ)」に分類。昔は新年に初めて馬やかごに乗ることで、交通機関が発達していなかったころには、いかにも「初」という新鮮な感じが持てたのだろう。現代人はいつ乗ったのが「初」だったかしらんと、それほどに電車などは日常の生活に溶け込んでしまっている。が、私もそうだけれど、作者も普段はあまり電車に乗らない人なのではないだろうか。だから、くっきりと「初」の意識が持てたのだと思う。目的の駅までの途中で「娘の(暮らす)町」を通りかかり、その「町」に燦々と「日」が注いでいるのを見て、なんとなく我が娘の元気で幸福な姿が想われたという親心。いかにも「初電車」にふさわしい明るい句だ。作者のこれから訪ねて行く先にも、何か楽しいことが待っているのだろう。そういえば、今日15日は「女正月」だ。その昔、正月に忙しかった女性がこの日は家事から解放され、ゆっくりと骨休めができる日だった。映画や芝居見物に出かけたり、年始の挨拶に回ったり、地方によっては女だけで酒盛りをする風習があったと聞く。掲句は現代の作だから、もはや女正月でもなかろうが、俳句の文脈のなかで読んでいると、ふっと今日という日にぴったりの気もしてくる。では、女だけの酒盛りの果ての一句を。「女正月一升あけて泣きにけり」(高村遊子)。いやはや、お賑やかなことで……。『若狭ぐじ』(2004)所収。(清水哲男)




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