軽い腰痛を覚えながら本を数百冊移動したら、軽くない腰痛に。当たり前ですね(苦笑)。




2005ソスN1ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2012005

 枯野ゆきつつ縺れる中学生

                           金子皆子

語は「枯野」で冬。「縺(もつ)れる」が良い。下校の途中だろうか。何人かの中学生が、下世話に言えばじゃれあいながら帰ってゆく。よく見かける光景だし、誰にもそんなふうにふざけあった覚えがあるだろう。ちょっと肩で相手を小突いてみたり、からかってパッと走って逃げたりとか。これを町中でやられると、ひどく傍若無人の存在に感じられるが、場所が「枯野」となれば印象はだいぶ違ってくる。ただ茫々とひろがる冬の原では、行き交う人もめったにいない。そこを行く中学生たちだけが、シルエットのようなイメージで浮かんで動いている。つまり、枯野での彼らはほとんど影に等しいのだ。その影たちが、しきりに「縺れ」あっている。見ていると、彼らは単に物理的に縺れているのではなく、彼らの内面までもがお互いにねじれ、からまり、また離れてといった具合に縺れているようなのだ。中学生と言えば、半分は子供で半分は大人みたいなところがある。世間を知っているようで知らないとか、独立心があるようでいて依頼心も強かったりとか、中途半端な年頃だ。そしてこのことは彼ら自身もぼんやりと意識していて、日常的にいわば矛盾の塊としての自己を持て余している。その持て余しようを、掲句は「縺れる」という表現で一掴みにしているのだと思う。作者はその年頃だった自分を重ねあわせているはずだから、ただ微苦笑のうちに眺めているわけではあるまい。『花恋2』(2005)所収。(清水哲男)


January 1912005

 声高になる佐渡よりの初電話

                           伊藤白潮

語は「初電話」で新年。掲載時期が遅すぎた感もあるが、旅先からの「初電話」なので、松を過ぎてもあり得ることだ。作者は千葉県在住。したがって、日常的には佐渡ははるか遠方である。その遠方に来ての電話だから、自然に「声高に」なったというわけだ。佐渡の様子を新春に報告する気のたかぶりのせいもあるだろうが、それよりも遠方から電話をかけている意識から声高になったと解したい。昔の遠方同士の電話だと、たしかに大声でないと聞こえにくい場合があったけれど、今日では単に遠方が原因で聞こえにくいことは稀だろう。だからことさらに声高になることもないのだが、遠いと思うとつい大きな声で話してしまう心理とは面白いものだ。他人事ではなく、ラジオの新米パーソナリティだったころの失敗談がある。スタジオと都内を結ぶ電話でインタビューするときと九州や北海道間のそれとで声の大きさが違ってしまい、しばしば技術マンに注意を受けたのだった。放送では本番前に回線状態をチェックするので、都内であろうと遠方であろうと、同じようにクリアーな状態で通話ができる。それなのに……、というわけだ。遠方との通話だからといって、いきなり声をはりあげられたら技術者はたまらない。この句は、そんな懐かしい日々にも想いを誘ってくれた。『ちろりに過ぐる』(2004)所収。(清水哲男)


January 1812005

 南天よ巨燵やぐらよ淋しさよ

                           小林一茶

語は「南天(の実)」と「巨燵(こたつ・炬燵)」。前者は秋で後者は冬の季語だが、もう「巨燵」を出しているのだから、後者を優先して冬期に分類しておく。なにしろわび住まいゆえ、部屋の中の調度といえば「巨燵」くらいのものだし、戸障子を開ければ赤い「南天」の実が目に入ってくるだけなのだから……。たぶん父に死なれた後の弟との遺産争いの渦中にあったころの作だろうが、いかにも「淋しさ」が何度もこみあげてくるような情景である。信州だから、おそらくは雪もかなりあっただろう。その白い世界の南天の実は、ことのほか鮮やかで目にしみる。けれども心中鬱々としておだやかではない作者には、自然の美しさを愛でる余裕などはなかったろうから、鮮烈な赤い実もかえって落ち込む要因になったに違いない。つい弱音を吐いて「淋しさよ」と詠んでしまった。そうせざるを得なかった。でも、妙な言い方になるけれど、これほど吠えるように「淋しさよ」と言い放つたところは、やはり一茶ならではと言うべきか。文は人なり。そんな言い古された言葉が、ひとりでに浮かんできた。(清水哲男)




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