災害時情報源。中越地震の際、ラジオの無い家庭が意外に多かったと新潟の放送関係者。




2005N124句(前日までの二句を含む)

January 2412005

 凍みるとはみちのくことば吊豆腐

                           井桁蒼水

期「凍豆腐(しみどうふ)」の項に分類しておく。ただし、JAS(日本農林規格)では「凍(こお)り豆腐」を正式な名称としている。作者の居住地がわからなくて残念だが、作者がお住まいのあたりでは「吊豆腐」と呼んでいるのだろう。「凍豆腐」の呼称があまりに有名なことから、実はこの呼び方は「みちのく」という一地方の方言であって、本当はここらで言うように「吊豆腐」と呼ぶべきだと主張している。俳句で食品の名前に文句をつけているのは珍しいし、面白い。言われてみると、その通りだ。凍豆腐製造は元来が和歌山県高野山の「高野豆腐」に発していることに間違いは無く、私の田舎(山口県)でもごく普通に「こうやどうふ」と言っていた。それが江戸期や明治大正期の全国的に通用する名前だったようだが、いついかなる理由をもって凍豆腐のほうが一般的になったのだろうか。たいていの名産品だと、特産地が移動したとしても発祥の地の呼び名を一部分でも踏襲しそうなものだけれど、この食品に限っては、突然変異的(としか思えない)に名称のポピュラー性が高野山から陸奥にシフトされてしまったようだ。寒夜に表に吊るして凍らせるイメージが、高野山よりも陸奥の厳寒にこそふさわしいからだろうか。それにしても、高野豆腐の名称は今でも通じてはいるものの、言葉の世界にも不思議なことが起きるものだ。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所収。(清水哲男)


January 2312005

 某日やひらけば吹雪く天袋

                           鳥居真里子

語は「吹雪く」で冬。「天袋(てんぶくろ)」は、和室の高いところ(押し入れの上部にある場合が多い)に設けられた収納スペースのこと。踏み台がないと開けないような高さなので、頻繁に出し入れする物の収納には向いていない。季節用品とか、卒業証書のように使わないけれど捨てられない記念の物などを仕舞っておく。だから、日頃はほとんど意識することの無い空間だ。それが「某日」、ふっと思い起こされた。で、開いてみたら中が「吹雪」いていたというのである。が、現実にはむろん作者は開いていない。あそこを「ひらけば」、きっと吹雪いていそうな気がしたということだ。想像の世界を詠んでいるわけだだが、想像だからどんな突飛なイメージでもよいということにはならないところが、俳句的喩の難しさだろう。この場合には、天袋と吹雪との取り合わせが、無理なくつながっている。天袋も吹雪も、この国の暮らしの土俗的な暗さの部分で溶け合っている。そしてまた、句からは天袋やタンスの引き出しなどを開けると、そこにはこの世ならぬ別世界があったという伝承の物語もいくつか想起される。そういうことどもが絡まりあって、掲句が決して安易な思いつき的着想に発していないことがうかがえるのだ。「俳句研究」(2005年2月号)所載。(清水哲男)


January 2212005

 山門の被疑者の写真雪催

                           久松久子

語は「雪催(ゆきもよい)」で冬。寺の楼門にまで指名手配のポスターが貼ってあるとは、今まで気づかなかった。でも、観光客がたくさん集まるような名刹の「山門」であるならば、全国各地から人が訪れて来るので、「被疑者」情報を得る絶好のメディアではありそうだ。プロが考えることは、やはり一味も二味も違う。折りからの「雪催」。それでなくとも愉快ではない寒々しい手配ポスターが、雪催いとあいまって、余計に寒さを助長してくるのである。こうした手配写真に目が止まるとき、むろん人の反応は様々だろうが、多くはそう単純ではないだろう。誰もが、警察的な正義の味方として見るわけではあるまい。個人的には見ず知らず縁もゆかりも恨みも無い被疑者なのだから、こんな寒空の下のどこでどうやって隠れているのか、息をひそめているのかなどと、同情とまではいかなくても、ある種のシンパシーを覚えてしまうこともある。追われるのは自業自得ではあるにしても、大組織がしゃかりきになって一個人を追いつめることについては、どこか釈然としないものが感じられるからだろう。これがもし自分であれば、どう逃げているのだろうか。そのあたりまで、私はたまに想像が及ぶこともある。句の作者がどう感じたかの詳細は知る由もないけれど、やはりそこには単純でない想いがあったのだと思う。情景も灰色ならば、心のうちも灰色である。『青葦』(2004)所収。(清水哲男)




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