2005N2句

February 0122005

 むささびに一夜雨風それから春

                           大石悦子

語は「むささび」で冬。リスの仲間だが、前後肢のあいだに飛膜があって、木から木へと滑空するのが特長だ。性温和、夜行性。冬季としたのは晩冬から初春にかけてが交尾期で、猫のような声で鳴くからだと考えられる。掲句は、もちろん想像の産物だ。想像句で難しいのは、いかに想像の世界を「さもありなん」と読者に思わせるかである。この句では「むささび」が出てくるのだが、これを別の動物、例えばキツネやタヌキなどでも、それなりに違った味の句にはなると思う。が、作者があえてあまりポビュラーとは言えない「むささび」を持ち出したのは、その生態の一部において、感覚的に我々人間の孤独感と通いあうものを思ってのことに違いない。むささびは、群れをなさない。単独か小さな家族単位で暮らしている。子供はせいぜいが一匹か二匹だという。住処である木の洞も、人の狭い住居に結びつく。だから「一夜雨風」ともなれば、私たちの冬ごもりと同じように、じいっと洞に身をひそめて悪天候が去るのを待つしかないだろう。そんな彼らの孤独の夜を、作者は風雨の冷たい冬の夜に想像して、いつしか自分が彼らの行動を断たれた孤独な世界と溶け合っている気持ちになった。だがしかし、こうした淋しくも厳しい冬の夜も、間もなく終わりに近づいてきている。もうすぐ春がやってくるのだ。「それから春」という表現には、孤独の氷解を期待する想いがいわば爆発寸前であることを告げているかのようだ。あさっては節分、四日が立春。『耶々』(2004)所収。(清水哲男)


February 0222005

 面体をつゝめど二月役者かな

                           前田普羅

月は生まれ月なので、今月の句はいろいろと気になる。この句もその一つで、長い間気にかかっていた。多くの歳時記に載っているのだけれど、意味不明のままにやり過ごしてきた。「二月役者」の役者は歌舞伎のそれだろうが、その役者が何をしている情景かがわからなかったからである。で、昨日たまたま河出文庫版の歳時記を読んでいたら、季語の「二月礼者(にがつれいじゃ)」の項にこうあった。「正月には芝居関係、料理屋関係の人々は年始の礼にまわれないので、二月一日に回礼する風習があった。この日を一日(ひとひ)正月、二月正月、迎え朔日、初朔日といった。正月のやり直しをする日と考えるのである」(平井照敏)。例句としては「出稽古の帰りの二月礼者かな」(五所平之助)など。読んだ途端に、あっ、これだなと思った。つまり「礼者」を「役者」に入れ替えたのだ。そういうことだったのかと、やっと合点がいった次第。積年の謎がするすると解けた。いくら人に正体を悟られないように「面体を」頬かむりしてつつんではいても、そこは役者のことだから、立居振る舞いを通じて自然に周囲にそれと知れてしまう。ああ名のある役者も大変だなあと思いつつ、しかし作者は微笑しているのだろう。大正初期の句だが、私などにはもっと昔の江戸の情景が浮かんでくる。なお、「二月」は春の季語。中西舗土編『雪山』(1992・ふらんす堂)所収。(清水哲男)


February 0322005

 豆撒く声いくとせわれら家もたぬ

                           高島 茂

語は「豆撒(まめまき)」で冬。間借り生活なのだろう。私にも体験があるが、隣室と薄い壁や狭い廊下を隔てての暮らしは、とりわけて音を立てることに気を使う。ひそやかに暮らさねばならぬ。したがって、いくら節分の夜だからといっても、「鬼は外」など大声を出すわけにはいかないのだ。それでも用意した豆を子供らとともにそっと撒いて、小声でつぶやくように「福は内」と言う。年に一度の大声を、張り上げることもままならない「われら」は、家を持たずにもう「いくとせ」になるだろうか。豆撒きの日ならではの感慨である。しかし、最近では豆撒きの風習もすたれてきたようだ。撒いた後の掃除が面倒という主婦の談話を、何日か前の新聞で目にした。同じ新聞に、代わって流行の兆しにあるのが「恵方巻き」だとあった。元来が大阪の風習らしいが、節分の夜に家族で恵方(今年は西南西)を向き、太巻きの寿司を黙って一気に丸かじりにすると幸運が訪れるという。その昔に大阪の海苔屋がまず花街に仕掛けたといわれ、切らずに丸かじりにするのは男女の縁を「切らない」ようにとの縁かつぎからだそうだ。バレンタインデーにチョコレートを仕掛けた業界の企みと同じ流れだけれど、実質的な夕飯にもなるし、声を出さない内向性も現代人の好みに合いそうだから、ブレークしそうな気がする。そうなると、あいかわらず「鬼は外」とやるのは、テレビの中の「サザエさん」一家くらいになってしまうのかも。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 0422005

 ご破算で願ひましては春立てり

                           森ゆみ子

語は「春立つ(立春)」。今日は旧暦の十二月二十六日だから、いわゆる年内立春ということになる。さして珍しいことではないが、『古今集』巻頭の一首は有名だ。「年の内に春は来にけり一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ」。在原元方の歌であり、子規が「呆れ返った無趣味」ぶりと酷評したことでも知られる。たしかに年内に春が来てしまい、では今日のこの日を去年と言うのか今年と呼んだらよいのかなどの疑問は、自分で勝手に悩んだら……と冷笑したくなる。大問題でもないし、洒落にもならない。しかしながらこの歌でわかるのは、昔の人が如何に立春を重んじていたかということだ。暦の日付がどうであれ、立春こそが一年の生活の起点だったからである。すなわち、国の生計を支えていた農作業は、立春から数えて何日目になるかを目処にして行われていた。貴族だったとはいえ、だからこその元方の歌なのであり、貫之が巻頭に据えた意図もそこにあったと思われる。回り道をしてしまったが、掲句はその意味で、伝統的な立春の考え方に、淡いけれどもつながっている。今日が立春。となれば、昨日までのことは「ご破算」にして、今日から新規蒔き直しと願いたい。多くの昔の人もそう願い、格別の思いで立春を迎えたことだろう。一茶の「春立つや愚の上に叉愚を重ね」にしても、立春を重要視したことにおいては変わりがない。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


February 0522005

 父と子は母と子よりも冴え返る

                           野見山朱鳥

語は「冴(さ)え返る(冴返る)」で春。暖かくなりかけて、また寒さがぶり返すこと。早春には寒暖の日が交互につづいて、だんだんと春らしくなってくる。普通は「瑠璃色にして冴返る御所の空」(阿波野青畝)などのように用いられる。掲句はこの自然現象に対する感覚を、人間関係に見て取ったところが面白い。なるほど「母と子」の関係は、お互いに親しさを意識するまでもない暖かい関係であり、そこへいくと「父と子」には親しさの中にも完全には溶け合えないどこか緊張した関係がある。とりわけて、昔の父と子の関係には「冴え返る」雰囲気が濃かった。「冴返る」の度をもう少し進めた「凍(いて)返る」という季語もあって、私が子供だったころの父との関係は、こちらのほうに近かったかもしれない。女の子だと事情は違ってくるのかもしれないが、一般的に言って男の子と父親は打ち解けあうような間柄ではなかった。ふざけあう父子の姿などは、見たこともない。高野素十の「端居してたゞ居る父の恐ろしき」を読んだときに、ずばりその通りだったなと思ったことがある。でも、見ていると、最近のお父さんは総じて子供に優しい。叱るのは、もっぱら母親のようである。となれば、この句が実感的によくつかめない世代が育ちつつあるということになる。良いとか悪いとかという問題ではないのだろうが。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 0622005

 紅椿悪意あるごと紅の濃し

                           渡辺梅子

語は「椿」で春。私は椿にこういう印象を受けたことはないけれど、わかるような気がする。当然の話だが、花を見ての受け取りようは人さまざまだ。人さまざまである上に、さらには見る人のそのときの身体的精神的コンディションによっても、印象は微妙に左右されるだろう。作者は紅い椿に目を止めた。しかし見るほどに、いやに「紅」の濃いのが気になってきた。さながら何か邪悪な思いをゆらめかすように、こちらの目を射てくるのだ。目をそらそうとしても、かえって吸い寄せられてしまう。何だろうか、この紅の毒々しさは。しばしその場に立ちすくんでいる作者の姿が彷佛としてくる。故意に「紅」と「紅」とを重ねた詠み方の効果は大だ。句を読んで花ではないけれど、いつだったかイラストレーターの粟津潔さんが言ったことを思い出した。「鳩って奴は、よくよく見ると気味が悪いねえ」。それまで私はそんなことを思ったこともなかったのでびっくりしたが、後にこの話を思い出してよくよく見たら、なるほど妙に気味が悪かった。粟津さんには平和の象徴としての鳩のデザインが、たしか何点かあったはずだが、あれらも本当は気味悪がりながら描いたのだろうか。聞いてみようと思いつつも、機会を失してきた。でも、たぶんそうではあるまい。ある日ある時に何かの拍子で、対象がとんでもない見え方をすることがあるとするのが正しいのではなかろうか。作者にとっての「紅椿」も、むろんだろう。が、奇妙に後を引く句だ。『柿落葉』(1991)所収。(清水哲男)


February 0722005

 うすぐもり瞰れば京都は鮃臥す

                           竹中 宏

語は「鮃(ひらめ)」で冬。「瞰」には「み」の振仮名あり。「俯瞰(ふかん)」などと使われるように、「瞰る」は広く見渡すの意だ。気にしたこともなかったけれど、そういえば「京都(市)」の形は「鮃」に似ていなくもない。南端の伏見区を頭に見立てれば、左京区の北部が尾のように見える。学生時代に私の暮らした北区は、さしずめ腹部ということになろうか。といって、作者がそのことを言っているとは限らない。むしろ形ではなく質感的に「鮃」と感じたのかもしれない。「瞰る」についても空から鳥の目で京都の形状を瞰たのではなく、ビルの上階あたりからの眺めを感覚的に全体像としてとらえたのだろう。はっきりしない天候の日に、そうした高いところから何気なく市街を見下ろして、咄嗟に「鮃」がだらっと寝そべっているようだと感じたのだ。街全体がぬめぬめとしていて、およそ活力というものに欠けている。冬場は観光客も途絶えて、京都の最も寂しい季節だから、鮃が臥(が)しているようだととらえても、ことさらに突飛な比喩ではないのだ。暗鬱と言っては大袈裟に過ぎようが、どこか人の心をじめじめと浸食してくるような鬱陶しさが、この季節の京都の情景には漂っている。だが、そのじめじめをくどく言わず、逆に句的にはからりとさばいてみせたところに、作者の腕の冴えを感じた。感心した。『アナモルフォーズ』(2003)所収。(清水哲男)


February 0822005

 いそまきのしのびわさびの余寒かな

                           久保田万太郎

語は「余寒(よかん)」で春。立春以後、まだのこる寒さのことを言う。暦の上では春なのだから、そろそろ暖かくなってもよいはずだがと期待するだけに、よけいに寒さが恨めしくなる。だがなかには作者のように、従容として寒さに従う人もいる。従うどころか、春過ぎの寒さに粋なものだと感じ入っている。「いそまき」は「磯巻き」で、要するに海苔で巻いた食物のことだ。磯巻きせんべいがポピュラーだが、句の場合にせんべいではいささか色気に欠けるだろう。たとえば薄焼きタマゴを高級海苔で巻いた料亭料理などが、私にはふさわしいように感じられる。一箸取って口に含むと、隠し(しのび)味的に入れられた「わさび」の味と香りがほんのりと口中に漂ったのだ。その微妙で心地よい味と香りが、余寒の情緒に溶けていくように想われたというのである。いかにも万太郎らしい感受性の光る句柄だが、世に万太郎の嫌いな人はけっこういて、その人たちはこうしたことさらな粋好みを嫌っているようだ。かくいう私も嫌いというほどではないが、あまりこの調子でつづけられると辟易しそうではある。たまに、それこそ他の作者たちの多くの句のなかに二、三句はらりと「しのばせて」あるくらいが、ちょうど良い案配でしょうかね。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所収。(清水哲男)


February 0922005

 音速たのし春の午砲の白けむり

                           原子公平

書きに「少年時代の思い出 一句」とある。「午砲(ごほう)」は俗に「お昼のどん」と言われ、市民に正午を知らせた号砲だ。明治四年にはじまり、昭和四年サイレンにきりかえられるまで、旧江戸城本丸で毎日正午の合図に空砲を打った。いまのように時計が普及していなかった時代だから、これをアテにしていた人たちは多かったろう。むろん私は知らないのだけれど、はるか年上の原子少年はおもしろがっていたようだ。学校で「音速」を習ったばかりだったのかもしれない。まずその方角に「白いけむり」が上がったのが見え、しばらくしてから「どーん」と音が聞こえてくる。けむりが見えてから音がするまでの間(ま)に、なんとも言えぬおもむきがあった。折しも季節は「春」、のどかな少年期の真昼を回想して、作者はひとり微笑している。「音速」という硬い科学用語も、無理なく句に溶け込んでいる。それもまた、暖かい春ゆえだろう。なお、この午砲は東京・小金井公園のなかにある「江戸東京たてもの園」に保存されている(はずだ。数年前には入り口近くに置いてあった)。もっと大きいものかと思っていたら、意外に小さかったので驚いた。小学生がまたがって遊べるくらいの大きさと言えば、想像していただけると思う。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


February 1022005

 なまぬるき夕日をそこに龍の玉

                           岸田稚魚

語は「龍(竜)の玉」で冬。ただし、掲句では「なまぬるき夕日」とあるから、春めいてきた夕刻の情景だろう。ということは、この龍の玉は盛りを過ぎていきつつある。厳寒期にはつやつやしていた瑠璃色の玉も、いささか退色してきた。夕日がつい「そこ」まで来ている日陰に、けなげにも最後の輝きを発しているのかと思うと、いじらしくもあり侘しくもある。「夕日をそこに」の「を」に注目。夕日「が」でないのは、龍の玉の凛としたプライドがなお夕日「を」支配しようとしている気持ちを表している。作者に春の訪れは好ましいのだけれど、一方ではこうして季節とともにひそやかに消えていく存在もあるのだ……。そんな優しいまなざしが、この句を詠ませたのだと思う。俳句では季語の旬(しゅん)を詠むのが普通だが、このように旬を外してみると、そのものの新しくて深い一面が見えてくることがある。いや、俳句に限ったことではなく、常にそのような目を意識的に持ちつづけて表現することが、文芸というものだろう。むろん旬のなかの旬をきっちりと表現することも大切だが、他方ではいつも大きな視野をもって事に臨むことも大事である。旬ばかりをねらっていると、いつしか視野が狭くなってしまい、たとえば「なまぬるき夕日」と「龍の玉」の情景が眼前にあったとしても、旬ではないこの取り合わせを無価値として捨ててしまう危険性は大だと言っておきたい。『花の歳時記・冬』(2004)所載。(清水哲男)


February 1122005

 紀元節今なし埴輪遠くを見る

                           山口草堂

語は「紀元節」で春。戦後、昭和二十三年に廃止されたが、昭和四十一年に「建国記念の日」として復活した。復活ではないというのが国家の正式見解ではあろうが、この祝日が紀元節を受けて制定されたことは明らかだ。掲句が作句されたのは、したがって今日(きょう)が祝日ではなかった二十年間のどこかの時点だということがわかる。戦前の紀元節を知っている世代には、主義主張はともあれ、二月十一日が普通の日になってしまったことに一抹の寂しさは覚えたろう。昔ならばおごそかな式典が挙行され、「雲に聳(そび)ゆる高千穂の高根おろしに草も木も……」と歌ったものだったと……。おそらくは作者もその一人で、普通の日になってしまったことにいきどおっているのではなく、若き日に染み込んだ二月十一日感覚が通用しなくなったことへの寂寥感と時代の差への感慨とがこう詠ませたのだ。天皇の墓に侍した「埴輪」の目が、今日という日にはなおさらに遠くを見ているように感じられる。ついでながら、紀元節の歌のつづきを書いておけば、「……なびきふしけん大御代(おおみよ)を仰ぐ今日こそたのしけれ」という文句だ。もちろん国民学校で習って歌ったが、一年坊主には何のことかさっぱりわからなかった。しかし、メロディはいまでも覚えていて、ちゃんと歌える。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


February 1222005

 梅林の咲きて景色の低くなる

                           粟津松彩子

語は「梅(林)」で春。暖かい地方では、そろそろ見頃を迎えたころだろうか。作者の居住する京都だと、御所あたりの梅はちらほらと咲きはじめているにちがいない。言われてみれば、なるほど。咲いていないときは、「まだ咲かないか」と私たちは梅の木の上のほうにばかり視線をやるけれど、咲いてしまえば当然低い枝にも咲くわけだから、全体的に「景色」が低くなったように感じられる理屈だ。当たり前と言えば当たり前であるが、こうしたことを面白がって言える文芸は、他にはない。さすがに句歴七十余年のベテランらしい目の所産であり、いわゆる玄人好みのする一句だと思う。俳句に長年コミットしつづけていれば、このように上手にいくかどうかは別にして、だんだんに俳句的な目というものが身についてくる。俳句を知らなかったら想像だにしないであろう物の見方が、ほとんど自然に備わってくる。構造的には人それぞれに身についた職業的な物の見方と似ているが、多くの人にとって句作は職業ではないので、純粋に物の見方の高まりや広がりとして発露することができる。ただ危険なのは、こうして身についた俳句的物の見方を後生大事にしすぎるあまりに、複雑な現実の諸相を見失うことだろう。掲句のように、俳句でしか言えないことはある。が、俳句では言えないこともたくさんあるということを、私たちは忘れてはなるまい。『あめつち』(2002)所収。(清水哲男)


February 1322005

 茗荷竹普請も今や音こまか

                           中村汀女

語は「茗荷竹(みょうがたけ)」で春。茗荷の茎が伸びはじめたばかりの若芽。地面から頭を出しはじめたころ、枯葉、枯れ草に埋もれながら育ちつつあるところを採取するので、花茗荷(ハナミョウガ)のように白い素肌に紫色や淡い緑色が差した姿をしている。この時期の刺身のツマなどでもおなじみだ。朝餉時、味噌汁か酢の物か、作者は早春の香りを楽しんでいる。今朝も近所からは、このところつづいている「普請(ふしん)」の「音」が聞こえてきた。道普請などの土木工事ではなくて、おそらく家を建てているのだろう。何日か前までは騒々しかったその音も、気がつくと「今や」だいぶ「こまか」になってきた。完成も間近で、最後の仕上げに入ってきたことが知れる。茗荷竹の早春の香りと新築家屋の仕上げの音。この目には見えない取り合わせに、作者は本格的な春の訪れを予感して明るい気持ちになっている。「音こまか」の発見に、うならされる。さすが汀女だ。以下脱線するが、茗荷といえば東京の文京区に「茗荷谷(みょうがだに)」という地名がある。調べてみたら、昔はやはり茗荷畑が多く見られたことからの命名のようだ。現在、その名は営団地下鉄丸ノ内線の駅名と茗荷坂(「切支丹坂」とも)の名に残っているのみで、往時の畑などはカケラも想像しようもないほどに変貌してしまっている。『女流俳句集成』(1999・立風書房)所載。(清水哲男)


February 1422005

 虎造と寝るイヤホーン春の風邪

                           小沢昭一

語は「春の風邪」。寒かったかと思うと暖かくなったりで、早春には風邪を引きやすい。俳句で単に「風邪」といえば冬のそれを指し、暗い感じで詠まれることが多いが、対して「春の風邪」はそんなにきびしくなく、どこかゆったりとした風流味をもって詠まれるケースが大半だ。虚子に言わせれば「病にも色あらば黄や春の風邪」ということになる。が、もちろん油断は大敵だ。軽い風邪とはいっても集中力は衰えるから、難しい本を読んだりするのは鬱陶しい。作者はおそらくいつもより早めに床について、「イヤホーン」でラジオを聞きながらうとうとしているのだろう。こういうときにはラジオでも刺激的な番組は避けて、なるべく何も考えないでもすむような内容のものを選ぶに限る。「次郎長伝」か「国定忠治」か、もう何度も聞いて中味をよく知っている広沢虎造の浪曲などは、だから格好の番組なのだ。ストーリーを追う必要はなく、ただその名調子に身をゆだねていれば、そのうちに眠りに落ちていくのである。そのゆだねようを指して、「虎造と寝る」と詠んだわけだ。病いの身ではあるけれど、なんとなくゆったりとハッピーな時間が流れている感じがよく出ている。それにつけても、最近めっきり浪曲番組が減ってしまったのは残念だ。レギュラーでは、わずかにNHKラジオが木曜日の夜(9.30〜9.55)に放送している「浪曲十八番」くらいのものだろう。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


February 1522005

 生き死にや湯ざめのような酔い心地

                           清水哲男

生日ゆえ自作を。季語は「湯ざめ」で冬。誕生日が来ると、子供のころからあと何年くらい生きられるかなと思ってきた。平均寿命など知らなかった小学生のころには、人生およそ六十年を目安にして勘定したものだった。周囲の人たちの寿命が尽きるのは、だいたいそんな年齢だったからである。それが、いつしか昔の目安の六十歳を越えてしまった。この間に平均寿命の知識も得たが、これはその年に零歳の赤ん坊があと何年生きるかの目安なのであって、大人の余命とは直接には関係がない。今では男女ともに八十歳を越えたとはいっても、私の年代の平均余命をそこまで保証しているわけではないのだ。で、目安を失った六十歳以降からは、なんとなく「あと十年くらいかな」と勘定している。昨年も一昨年も、そして今年も「あと十年」と思うのは、数字的に減っていないので妙な話なのだけれど、まだ生命に未練たらたらな証拠のようなものだろう。常識では、これを希望的観測と言う。ただ、このところ毎年のように同世代の友人知己の死に見舞われていることからして、他方ではもういつ死んでもおかしくはない年齢に達したことを否応なく自覚させられてもいる。だから、掲句のように内向的になることもしばしばだ。でも、とにもかくにも今日で六十七歳になった。せめて今宵は楽天的に「あと十年は」と決めつけて、心地よい酔いのなかで眠りたい。(清水哲男)


February 1622005

 海苔あぶる手もとも袖も美しき

                           瀧井孝作

語は「海苔(のり)」で春。新海苔の収穫期ゆえ。掲句、情景も美しいが句の姿も美しい。「美しき」などはなかなか詠み込み難い言葉だが、無理なくすらりと詠み込んでいる。あぶり加減で黒くも見え暗緑色にも見える光沢のある海苔だから、白い手もとも映え、和服の袖もまたよく映える。大袈裟ではなく、よくぞ日本に生まれけりと思うのはこういうときだ。いきなり話は上等でない海苔のことになるが、子供の時代に楽しみだったのが「海苔弁」だ。弁当箱にまず半分ほどご飯を敷き、その上にあぶった海苔にちょっと醤油をつけたのを敷き込む。このときに「おかか(鰹節)」があれば、いっしょに敷く。それからまたその上にご飯を盛って、同じように海苔をかぶせる。で、蓋をしてぎゅうっと押さえ込めば出来上がり。他に、おかずは無いほうがよろしい。単純な醤油飯でしかないけれど、時間が経つとほどよく醤油味が飯にしみてきて美味だった。二段飯というところにも、何か得したような感じで子供心をくすぐられた。でも、こんな贅沢な弁当は年に二度か三度かで、日の丸弁当があればまだよいほう。一年中米の飯が弁当に出来た子は、クラスでも半分くらいだったろうか。その貴重な海苔をこともなげにあぶって、こともなげに食べる。もうそれだけでも、子供の私だったら美しいと思う前に目を丸くしていたかもしれない。無粋な話になってしまいました。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 1722005

 田は一代工高受験許しけり

                           藤井洋舫

語は「受験」で春。当歳時記では「大試験」に分類。身につまされる読者もおられるだろう。作者の父としての立場からではなく、かつて「受験」を許された子供の立場から……。「田は一代」とあるから、作者は根っからの農業者ではない。おそらく戦争で職業を失い、素人として農村に入り田を作った人なのだ。私の父もそうだったが、そういう人はたくさんいた。苦労した末に、やっとなんとか農業も軌道に乗り生活も安定してきた矢先のこと、てっきり後を継いでくれるものとばかり思っていた息子が「工高」を受けたいと言いだした。むろん作者は、息子がその方面に向いているかもしれないとは思っている。が、たとえ受験に成功しても、その後の人生は自分で切り開いていかねばならない。何も、手助けしてはやれない。が、農業を継いでくれればいっしよに働けるし、一人前になるのも早いだろう。おまけに、将来のそこそこの生活ならば保証されているも同然だ。だけれども、息子の意思は固かった。涙ながらに訴えられたのかもしれない。最終的には、息子を好きな道に行かせてやろうと決断したわけだが、しかしどうせ「田は一代」なのだとあきらめるまでには、どれだけの懊悩があったことだろう。このような親子は、とりわけて敗戦後十年くらいまでは多かったろう。私の友人のなかにも、高校受験を断念した者が何人かいる。いまでこそ中学の同窓会で会うと笑っているが、当時はきっと深夜に布団をかぶって、ひとり泣いたのだろうな。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004)所載。(清水哲男)


February 1822005

 るいるいといそぎんちやくの咲く孤独

                           土橋石楠花

語は「いそぎんちゃく(磯巾着)」で春。春に多く見られることから。早春の海辺の情景だろう。吹く風は冷たく、あたりに人影もない。そこここの岩陰に目をやると、あそこにもここにも「るいるいと」磯巾着が菊の花のように開いているのが見えた。赤や紫、緑色などをしたそれらは、ただじいっとして餌がやってくるのを待っているのだ。とりどりの体色がにぎやかなだけに、かえって寂寥感がある。数だけはたくさんいるけれど、決して群れているふうには感じられない。お互いに関わりのない雰囲気で、それぞれが岩にへばりついている。言うならば「孤独」の寄せ集まりだ。「るいるい」たる「孤独」が、作者の眼前に展開しているばかりなのである。磯巾着はどこか愛敬のある生物として詠まれることが多いが、このようにストレートに孤独とつなげた句は珍しい。おそらくこの「孤独」は、このときの作者の心奥のそれにつながっていたのだと思う。余談ながら、磯巾着は意外に長命なのだそうだ。いままで飼育された最長記録は65年に達し、多くの大形の種類のものは野外では100年近く生きるものと考えられている。句の作者のポエジーと直接関係はないのだけれど、こういうことを知ると、もはや老齢の磯巾着が「るいるいと」いる様子も想像されて、いっそう「孤独」の文字が目にしみてくる。掲句は、各種『歳時記』に収載。(清水哲男)


February 1922005

 京雛の凛凛しき肩に恋心

                           磯田みどり

雛
語は「雛」で春、「雛祭」に分類。「雛」と「恋(心)」との取り合わせは、よくありそうでいて、実は珍しい。愚考するに、雛祭りの主役である人形は常に男女一対であり、そのことは恋の成就を既に体現しているのだから、雛壇に恋風が吹くことはないと思うのが普通だろう。結婚披露の場で、あらためて二人の恋を感じることがないのと同じことだ。ところが、作者は雛飾りをみているうちに、読者にはどの人形かはわからないが、その「肩」あたりに恋の微風が吹いているようだと感じたのだった。態度はあくまでも凛々しく毅然と目を張ってはいても、そこはかとなく匂い出ている恋する心。写実的な江戸雛とは対照的な「京雛」のふくよかな顔が、そうした連想を呼んだのだろうか。しばし立ち去り難く、雛に見入っている作者の姿までが浮かんでくるような句だ。ところろで、写真(見にくくてすみません)は近着の「俳句研究」(2005年3月号)の表紙。イラストを一見して「あれっ」と思った読者もおられるだろう。つまりこれが伝統的な「京雛」の飾り方で、向かって右側に内裏雛が配されている。京阪地方では、いまでもこの飾り方にする家庭は多いはずだ。昔の江戸でも同じ配置だったが、明治期の西洋化の影響で天皇家の男女の並び方が変わったことから、いまでは左側に男というのが一般的になっている。全国誌である「俳句研究」が、あえて珍しい京風の表紙にしたのは何故なのだろうか。『柳緑花紅』(2005)所収。(清水哲男)


February 2022005

 淡雪富士ひとつの素船出てゆくも

                           赤尾兜子

語は「淡雪」で春、「春の雪」に分類。美しい写生句だ。作者名が伏せられていれば、前衛俳句の旗手として知られた兜子の句とは思えない。柔らかい春の雪が降りしきる富士の裾野の湖から、何の変哲もない一掃の船が漕ぎ出されたところだ。その「素船(すぶね)」は淡雪を透かして、静かに黒々と沖に向かっていく。無音、そしてモノトーン、さながら一幅の墨絵を思わせる情景だ。この句に触れて小林恭二は「しかしこの『出てゆくも』という反語は何なのでしょうね」と書いている(「俳句研究」2005年3月号)。「おそらく兜子は強めの表現として反語を使っているのではなく、余韻を響かすために反語を使っているのでしょう。そしてその余韻のなかにこそ、真に語るべきものがあると考えていたのでしょう。それはひょっとしたら俳句の本道かもしれません」。結局は同じ解釈になるのかもしれないが、私はこの解答のない反語を作者のニヒリズムの表白のように思う。眼前の世界が美しければ美しいほど、その美しさの生命は短いということ。まるで淡雪のようにそれははかなく消えてしまうのだという確信が、作者には(たぶん何事につけても)抜き難くあった。だから、ただ情景の美しさを句に定着させる気持ちなどはさらさらなくて、むしろ情景の滅びのほうに力点を置こうとしている。滅びの予感を詠み込む方法として、曖昧な反語を使わざるを得なかったのだ。すなわち、眼前の現在に未来をはらませる必要からの反語なのだろうと思った。『玄玄』(1982)所収。(清水哲男)


February 2122005

 排水口にパーの手が出るおぼろ月

                           三宅やよい

語は「おぼろ月(朧月)」で春。やわらかな薄絹でも垂れているような甘い感じの月の夜に、なかば陶然としながら歩いていると、突然眼前の「排水口」からにょきっと「パーの手」が出てきた。もちろん想像の世界を詠んだわけだが、この想像は怖い。出てきたのが手でなくても怖いけれど、それもジャンケンのパーの形の手だというのだから、そこには手を出した正体不明者のからかいの気分が込められているようで、余計に怖く感じられる。実景だったら、声もあげられずに立ちすくんでしまうだろう。掲句から思い出したのは、映画『第三の男』のラストに近いシーンだ。麻薬密売人のオーソン・ウェルズが地下水道のなかで追いつめられ、背中をピストルで撃たれる。それでも必死に逃げようとして、地上に通ずる排水口を押し上げるために、鉄枠を握りしめる場面があった。カメラはその手を地上から撮っていて、いったんは握りしめていた手がだんだんと力弱く開いていき、間もなく見えなくなってしまう。彼の死を暗示する秀逸なカットだったが、これも見ていてぞくっとするくらいに怖かった。この場合は正体不明者の手ではないのだが、しかし常識ではあり得ないはずのことが目の前で起こるということは、やはり心臓にはよろしくないのである。ひっかけて言えば、この句は季語「おぼろ月(夜)」の常識を逆手に取ることで、ユニークな作品になった。この発見は凄い。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


February 2222005

 猫の恋声まねをれば切なくなる

                           加藤楸邨

語は「猫の恋」で春。誰でも知っている恋猫の声だが、子供ならばともかく、大の大人になって真似してみる人がいるだろうか。私には真似した記憶がないけれど、しかしこの句を読んで、けっこう多くの人が真似しているような気がしてきた。実際、人はひとりでいるときに、何をしでかしているかわからないものだ。片岡直子に「かっこう」という詩があって「誰もいないへやで/私だけいるへやで//私は素敵なかっこうをしてみます//足をたくみにからませて/のばしてみたり……」とあるように、誰にもこうした似たような体験はあるだろう。猫の声を出してみることは、猫の気持ちになってみることである。一所懸命に鳴きまねをしているうちに、自分がどんどん恋に狂う猫になってくるのだから、ついには「切なくなる」のも当然だ。春愁一歩手前みたいな気分になったに違いない。ところで今日二月二十二日は「にゃん・にゃん・にゃん」の語呂合わせで「猫の日」である。恋猫の目立つシーズンだから、タイミングもちょうど頃合いだ。では、この日が決まってから、負けてはならじと招き猫愛好者が作った「招き猫の日」をご存知だろうか。日にちは九月二十九日。これをおめでたく「くるふく」と読んで制定したのだという。なんだか「くにく」のアイディアのようでもありますが(笑)。『猫』(1990・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


February 2322005

 たかが椿の下を通るに身構ふる

                           林 朋子

語は「椿」で春。「たかが」が気にならないでもないが、句全体はよくわかる。椿はいきなりぼたっと落ちてくるので、うかうか下を歩けないような気分になるわけだ。「たかが」はだから、花そのものへの評価ではなく、たとえ落ちてきて身体に当ったとしても大したことはないの意だから、使い方としては間違ってはいない。「たかが」はストレートに「椿」にかかるのではなく、書かれていない「落花」にかかっているのだ。だが私だけの感じ方かもしれないのだけれど、ぱっと読んだときのファースト・インプレッションは、なんとなく花そのものを軽く見ているような気がしてしまった。俳句の短さからくる私の「誤解」である。誤解が解けてみれば、なかなかに面白い句なのだが……。「身構ふる」で思い出したのは、ハワイに行ったときだったか、ヤシの実の落下には気をつけるようにと注意を受けたことだ。なるほど、あんな高いところからあんな大きなものが落ちてきて頭に当たりでもしたら、命にかかわる。「たかが」どころの話じゃない。ついでに書いておけば、かなり日常的に身構えざるをえないのが、このところ増えに増えてきた土鳩どもの糞害に対してだ。近所の井の頭公園などに出かけると、たまにこいつらに直撃されてしまう。そんなときには、それこそ「たかが土鳩」とののしりたくなる。石原慎太郎都知事の数ある政策(?)のなかで、私は土鳩一掃策を唯一支持している。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


February 2422005

 炬燵今日なき珈琲の熱さかな

                           久米三汀

燵(こたつ)をかたづけた後の句だから、季語は「炬燵塞ぐ(こたつふさぐ)」で春。こういう句は、ちょっと想像では詠めないだろう。実感だ。作者は昨日までは炬燵で珈琲を飲んでいた。そのときには気がつかなかったのだが、こうして炬燵をかたづけて、足下などが冷たいなかで飲むと、こんなに熱いものを飲んでいたのかとあらためて気づいたというのである。周囲の環境によって、同じ温度のものも違ったふうに感じられる。当たり前と言えばそれまでだけれど、こうしたささやかな発見を書きつけるのも俳句の醍醐味だ。三汀は、小説家・劇作家の久米正雄(1891〜1952)の俳号。少年時代から、俳句をよくした。いまの人はもう読まないだろうが、漱石の遺児・筆子との恋の破局を描いた『蛍草』『破船』などで一躍人気作家となり、新感覚の通俗小説にも筆を染めたことで知られる。ところで、お気づきだろうか。掲句を現代の句として読めば道具立てに変わったところはないが、昔の句と知れば「ほお」と思うのが普通だろう。自宅の炬燵で珈琲を飲む。こんなハイカラなことをやっていた人は、そう多くはなかったはずだ。この人はとにかく新しもの好きだったようで、ラジオ放送がはじまったときに受信すべく、鎌倉の自宅の庭にものすごい高さのアンテナを建てたという話を、当人の随筆だったか何かで読んだことがある。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 2522005

 亀鳴いて全治二秒となりにけり

                           岩藤崇弘

語は「亀鳴く」で春。平井照敏の解説。「春の夜など、何ともしれぬ声がきこえるのを、古歌『河越しのみちの長路の夕闇に何ぞと聞けば亀の鳴くなる』(為兼卿)などから、亀の声としたもので、架空だが、春の情意をつくしている」。さて、掲句。さあ、わからない。わからなくて当然だ。現実的なことが、何も出てこないからだ。でも、なんとなく可笑しい。後を引く。何故なのか。おそらくそれは理解しようとして、具象的な「亀」を唯一の手がかりとせざるを得ないからだろう。だからこの句では、鳴くはずもない亀が本当に鳴いたのだと思わせられてしまう。「ええっ」と感じた途端に、「全治二秒」と畳み掛けられて、何が全治するのかなどと考える暇もなく、「なりにけり」と納得させられるのである。ミソは「全治二秒」の「二秒」だろう。一秒でも三秒でも極度に短い時間を表すことはできるし、一見「二秒」の必然性はないように見える。が、違うのだ。「二秒」でなければならないのだ。というのも、一秒や三秒では、ほんの少し字余りになる。字余りになれば、読者が一瞬そこで立ち止まってしまう。立ち止まられると、畳み掛けが功を奏さない。四秒でも駄目、次は五秒とするしかないけれど、これでは即刻全治ではなくなってしまう。間延びしてしまう。「二秒」だから、読者に有無を言わせない。なかなかのテクニシャンぶりだ。きっと良い句なのだろう。「俳句」(2005年3月号)所載。(清水哲男)


February 2622005

 紅梅や海人が眼すゝぐ二十年

                           谷川 雁

語は「紅梅」で春。前書きに「贈吾父」とあるから、父親に贈った句だ。この句については、作者の兄である谷川健一の説明がある。「わたしたちの父は眼科医だったのですが、病院の敷地に紅梅がありまして、父親はどこにも出かけないで、その紅梅を見ながら海人(あま)の眼ばかりをすすいでいたというわけです。海岸べりの土地でしたから、漁民が多かったのですが、水がよくなく眼を悪くする人が多かったのだと思います」。日々多忙を極めてはいるが、裕福ではない医者の姿が浮かんでくる。紅梅の季節がめぐってくるたびに、作者はそんな父親像を思い出し、優しい気持ちになったのだろう。私が谷川雁に会ったのは学生時代、三池炭坑闘争の最中であった。学園祭や何かで、何度か講演してもらった。第一印象は詩人というよりも策士という雰囲気で、しきりに学生運動などはヘボだと言われるのには閉口した。あるとき思い切って「でも、谷川さん。そんなに物事をひねくってばかり取らないで、素直に受け取ることも必要じゃないでしょうか」と聞いたことがある。と、雁さんは即座に「素直で革命なんかできるものか」と吐き捨てるように言った。思い返せば至言だとは思うけれど、しかしどうだろう、掲句の素直さは……。こういう一面は、決して私たち学生には見せようとしない人だったが、酔うと下手な冗談を連発したようなところは、どこかでこうした優しい心情につながっていたような気もする。「現代詩手帖」(2002年4月号)所載。(清水哲男)


February 2722005

 離婚と決めし夫へ食べさす蜆汁

                           清水美津枝

語は「蜆(しじみ)」。蜆は一年中出回っているが、琵琶湖特産のセタシジミの旬が春のため、春の季語になったという。このことからしても、季語は京都を中心に考えられてきたことがわかる。「離婚と決めし」だから、まだ「夫(つま)」に離婚を切り出したわけではあるまい。自分ひとりの心のうちで決意した段階だ。したがって、いつものように「食べさ」せている。彼の好物なのか、それとも単に旬のものだから出したのか、いずれにせよ会話も無い食卓で「蜆汁」のカシャカシャと触れ合う小さな音だけがしている。春なのに、いや春だからこそ、なんとも侘しい気持ちなのだ。離婚してせいせいしたい気持ちと、そこに至るまでの長く重苦しいであろう時間への思いとがないまぜになって、ますます滅入ってくる……。むろんこの句は、現在進行形ではなく、離婚成立後に詠まれたものだろう。回想句だ。春が来て「蜆汁」を食べるたびに、作者はこのときのことを嫌でも思い出さざるを得ない。下衆のかんぐりをしておけば、離婚話を持ち出したのはこの日のことだったような気がする。なお、作者の苗字は私と同じだけれど、私の身内でもなければ知り合いでもありません。念のため(笑)。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004)。(清水哲男)


February 2822005

 バースデー春は靴から帽子から

                           中嶋秀子

まには、こうした手放しの明るさも気持ちが良い。作者の「バースデー」の正確な日付は知らないが、まだ寒い早春のころだろう。誕生日というので、自分に新しい「靴」と「帽子」をおごった。身につけると、それらの華やいだ色彩から、自然に先行して「春」が立ち上ってきたように思われたと言うのである。ひとり浮き浮きしている様子が伝わってくる。何の変哲もない句のように思えるかもしれないが、俳句ではなかなかこうした美意識にはお目にかかれない。つまり、人工的な靴や帽子から自然現象としての春に思いが至るという道筋を、通常の俳句様式は通らないからだ。何から、あるいはどこから春が来るかという問いに対して、たいていの俳句はたとえば芽吹きであったり風の吹き具合であったりと、同じ自然現象に予兆を感じると答えるのが普通だろう。が、掲句はそれをしていない。このような表現はかつてのモダニズム詩が得意としたところで、人工と自然を相互に反射させあうことで、いわば乾いたハイカラな抒情の世界を展開してみせたのだった。一例として、春山行夫詩集『植物の断面』(1929)より一部を紹介しておく。「白い遊歩道です/白い椅子です/白い香水です/白い猫です/白い靴下です/白い頸(くび)です/白い空です/白い雲です/そして逆立ちした/お嬢さんです/僕のKodakです」。「Kodak」はアメリカ製のカメラだ。掲句の「バースデー」も「Kodak」の味に通じている。『玉響』(2004)所収。(清水哲男)




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