Xン子句

February 0422005

 ご破算で願ひましては春立てり

                           森ゆみ子

語は「春立つ(立春)」。今日は旧暦の十二月二十六日だから、いわゆる年内立春ということになる。さして珍しいことではないが、『古今集』巻頭の一首は有名だ。「年の内に春は来にけり一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ」。在原元方の歌であり、子規が「呆れ返った無趣味」ぶりと酷評したことでも知られる。たしかに年内に春が来てしまい、では今日のこの日を去年と言うのか今年と呼んだらよいのかなどの疑問は、自分で勝手に悩んだら……と冷笑したくなる。大問題でもないし、洒落にもならない。しかしながらこの歌でわかるのは、昔の人が如何に立春を重んじていたかということだ。暦の日付がどうであれ、立春こそが一年の生活の起点だったからである。すなわち、国の生計を支えていた農作業は、立春から数えて何日目になるかを目処にして行われていた。貴族だったとはいえ、だからこその元方の歌なのであり、貫之が巻頭に据えた意図もそこにあったと思われる。回り道をしてしまったが、掲句はその意味で、伝統的な立春の考え方に、淡いけれどもつながっている。今日が立春。となれば、昨日までのことは「ご破算」にして、今日から新規蒔き直しと願いたい。多くの昔の人もそう願い、格別の思いで立春を迎えたことだろう。一茶の「春立つや愚の上に叉愚を重ね」にしても、立春を重要視したことにおいては変わりがない。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)




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