February 062005
紅椿悪意あるごと紅の濃し
渡辺梅子
季語は「椿」で春。私は椿にこういう印象を受けたことはないけれど、わかるような気がする。当然の話だが、花を見ての受け取りようは人さまざまだ。人さまざまである上に、さらには見る人のそのときの身体的精神的コンディションによっても、印象は微妙に左右されるだろう。作者は紅い椿に目を止めた。しかし見るほどに、いやに「紅」の濃いのが気になってきた。さながら何か邪悪な思いをゆらめかすように、こちらの目を射てくるのだ。目をそらそうとしても、かえって吸い寄せられてしまう。何だろうか、この紅の毒々しさは。しばしその場に立ちすくんでいる作者の姿が彷佛としてくる。故意に「紅」と「紅」とを重ねた詠み方の効果は大だ。句を読んで花ではないけれど、いつだったかイラストレーターの粟津潔さんが言ったことを思い出した。「鳩って奴は、よくよく見ると気味が悪いねえ」。それまで私はそんなことを思ったこともなかったのでびっくりしたが、後にこの話を思い出してよくよく見たら、なるほど妙に気味が悪かった。粟津さんには平和の象徴としての鳩のデザインが、たしか何点かあったはずだが、あれらも本当は気味悪がりながら描いたのだろうか。聞いてみようと思いつつも、機会を失してきた。でも、たぶんそうではあるまい。ある日ある時に何かの拍子で、対象がとんでもない見え方をすることがあるとするのが正しいのではなかろうか。作者にとっての「紅椿」も、むろんだろう。が、奇妙に後を引く句だ。『柿落葉』(1991)所収。(清水哲男)
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