February 112005
紀元節今なし埴輪遠くを見る
山口草堂
季語は「紀元節」で春。戦後、昭和二十三年に廃止されたが、昭和四十一年に「建国記念の日」として復活した。復活ではないというのが国家の正式見解ではあろうが、この祝日が紀元節を受けて制定されたことは明らかだ。掲句が作句されたのは、したがって今日(きょう)が祝日ではなかった二十年間のどこかの時点だということがわかる。戦前の紀元節を知っている世代には、主義主張はともあれ、二月十一日が普通の日になってしまったことに一抹の寂しさは覚えたろう。昔ならばおごそかな式典が挙行され、「雲に聳(そび)ゆる高千穂の高根おろしに草も木も……」と歌ったものだったと……。おそらくは作者もその一人で、普通の日になってしまったことにいきどおっているのではなく、若き日に染み込んだ二月十一日感覚が通用しなくなったことへの寂寥感と時代の差への感慨とがこう詠ませたのだ。天皇の墓に侍した「埴輪」の目が、今日という日にはなおさらに遠くを見ているように感じられる。ついでながら、紀元節の歌のつづきを書いておけば、「……なびきふしけん大御代(おおみよ)を仰ぐ今日こそたのしけれ」という文句だ。もちろん国民学校で習って歌ったが、一年坊主には何のことかさっぱりわからなかった。しかし、メロディはいまでも覚えていて、ちゃんと歌える。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)
February 112007
豆腐屋の笛もて建国の日の暮るる
岡崎光魚
昭和をノスタルジーの対象にする最近の風潮には、多少の抵抗があります。しかし、気がつけばわたしも昭和を、懐かしく思い出していることがあります。掲句、「豆腐屋の笛」という言葉を目にして、そういえば昔、そんな音を聞いたことがあったなと思いました。あの、どこか気の抜けた金属的な音が、耳の奥で蘇ります。当時の家は、今ほど密閉性にすぐれていませんから、家の中にいても道端の音がはっきりと聞こえてきました。笛の音と、「とーふぃー」という間延びのした声を聞くと、割烹着すがたの母親が鍋をかかえて外に急いだものです。たしかに当時の家は、今よりもずっと外と緊密につながっていました。扉も今のようにいくつも鍵がかけられていたわけではありません。外部というのは、必ずしも防ぎとめる対象ではありませんでした。時に「さおだけー」だったり「いしやきいもー」だったり、ラーメンのチャルメラだったり、家の玄関の延長のような場所で、物売りがのんびりと通り過ぎたものです。今日の句を読んで真っ先に目に浮かんだのは、昭和の懐かしい風景でした。道端を通り過ぎる豆腐屋の向こうの、広々とした原っぱに夕日が沈もうとしています。そんな懐かしさの只中に、「建国」という重い言葉が置かれています。しかし、神武天皇がその昔即位した日にしろ、一日はただの一日です。市井の人々にとっては、国を作ることよりも切実な出来事があり、その日もいつもと変わらずに、豆腐屋の笛を合図に、何事もなく暮れてゆくのです。『角川大歳時記 春』(2007・角川書店)所載。(松下育男)
February 112013
旗立てて古りし傷撫づ建国日
長かずを
戦後の祝日風景で、もっとも変わったのは、ほとんどの家で国旗を掲げなくなったことだろう。戦前は、田舎の隅々にいたるまで、国旗掲揚は普通のことだった。最近では官庁などのお役所や、バスなどの交通機関くらいでしか見られない。この句の作者はそんな風潮に抗しているのか、あるいは昔ながらの習慣が捨てられずに、玄関脇に国旗を立てている。そして立てた国旗を見上げながら、無意識のうちにかつて受けた古傷の痕を撫でている自分に気がついた。この傷は、むろんお国のために戦った際の傷でなければならない。とはいえこの句には、建国記念の日を心から祝っているのでもなければ、そのかみの戦争を呪っているわけでもあるまい。国旗の掲揚と戦争による古傷との取り合わせは痛々しいが、作者当人はことさらに何かを訴えたいのではなく、逆にそんな時代を生きてこざるを得なかった宿命を諦観している。言うならば、この諦観はいつの時代にも私たち庶民の心情を支配してきたのであり、そのことがまた生き抜くための知恵であったことに思い当たる。哀しいかな、それが現実というものだと思う。『合本俳句歳時記・新版』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)
February 112014
箸といふ文化が不思議建国日
林 翔
世界の食事の方法を大きく分けると、直に手を使う、箸を使う、ナイフ・フォークを使う、の三種類になるという。それぞれ食材やその調理法の違い、また作法によって独自に確立してきたものだ。昨年末に和食はユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、和食をつかさどる箸は今後ますます注目されていくことだろう。頼りない二本の棒を片手で操り、まぜたり、はさんだり、運んだり、さまざまな機能をなんなくこなす。日本人が思うままに使うことのできる箸にはもうひとつ大きな利点がある。あらゆる食器のなかでなにより洗いやすく、清潔に保てることだ。(土肥あき子)
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