来週の土曜日からプロ野球オープン戦がはじまる。やっと「カーン」という音が聞ける。




2005ソスN2ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1922005

 京雛の凛凛しき肩に恋心

                           磯田みどり

雛
語は「雛」で春、「雛祭」に分類。「雛」と「恋(心)」との取り合わせは、よくありそうでいて、実は珍しい。愚考するに、雛祭りの主役である人形は常に男女一対であり、そのことは恋の成就を既に体現しているのだから、雛壇に恋風が吹くことはないと思うのが普通だろう。結婚披露の場で、あらためて二人の恋を感じることがないのと同じことだ。ところが、作者は雛飾りをみているうちに、読者にはどの人形かはわからないが、その「肩」あたりに恋の微風が吹いているようだと感じたのだった。態度はあくまでも凛々しく毅然と目を張ってはいても、そこはかとなく匂い出ている恋する心。写実的な江戸雛とは対照的な「京雛」のふくよかな顔が、そうした連想を呼んだのだろうか。しばし立ち去り難く、雛に見入っている作者の姿までが浮かんでくるような句だ。ところろで、写真(見にくくてすみません)は近着の「俳句研究」(2005年3月号)の表紙。イラストを一見して「あれっ」と思った読者もおられるだろう。つまりこれが伝統的な「京雛」の飾り方で、向かって右側に内裏雛が配されている。京阪地方では、いまでもこの飾り方にする家庭は多いはずだ。昔の江戸でも同じ配置だったが、明治期の西洋化の影響で天皇家の男女の並び方が変わったことから、いまでは左側に男というのが一般的になっている。全国誌である「俳句研究」が、あえて珍しい京風の表紙にしたのは何故なのだろうか。『柳緑花紅』(2005)所収。(清水哲男)


February 1822005

 るいるいといそぎんちやくの咲く孤独

                           土橋石楠花

語は「いそぎんちゃく(磯巾着)」で春。春に多く見られることから。早春の海辺の情景だろう。吹く風は冷たく、あたりに人影もない。そこここの岩陰に目をやると、あそこにもここにも「るいるいと」磯巾着が菊の花のように開いているのが見えた。赤や紫、緑色などをしたそれらは、ただじいっとして餌がやってくるのを待っているのだ。とりどりの体色がにぎやかなだけに、かえって寂寥感がある。数だけはたくさんいるけれど、決して群れているふうには感じられない。お互いに関わりのない雰囲気で、それぞれが岩にへばりついている。言うならば「孤独」の寄せ集まりだ。「るいるい」たる「孤独」が、作者の眼前に展開しているばかりなのである。磯巾着はどこか愛敬のある生物として詠まれることが多いが、このようにストレートに孤独とつなげた句は珍しい。おそらくこの「孤独」は、このときの作者の心奥のそれにつながっていたのだと思う。余談ながら、磯巾着は意外に長命なのだそうだ。いままで飼育された最長記録は65年に達し、多くの大形の種類のものは野外では100年近く生きるものと考えられている。句の作者のポエジーと直接関係はないのだけれど、こういうことを知ると、もはや老齢の磯巾着が「るいるいと」いる様子も想像されて、いっそう「孤独」の文字が目にしみてくる。掲句は、各種『歳時記』に収載。(清水哲男)


February 1722005

 田は一代工高受験許しけり

                           藤井洋舫

語は「受験」で春。当歳時記では「大試験」に分類。身につまされる読者もおられるだろう。作者の父としての立場からではなく、かつて「受験」を許された子供の立場から……。「田は一代」とあるから、作者は根っからの農業者ではない。おそらく戦争で職業を失い、素人として農村に入り田を作った人なのだ。私の父もそうだったが、そういう人はたくさんいた。苦労した末に、やっとなんとか農業も軌道に乗り生活も安定してきた矢先のこと、てっきり後を継いでくれるものとばかり思っていた息子が「工高」を受けたいと言いだした。むろん作者は、息子がその方面に向いているかもしれないとは思っている。が、たとえ受験に成功しても、その後の人生は自分で切り開いていかねばならない。何も、手助けしてはやれない。が、農業を継いでくれればいっしよに働けるし、一人前になるのも早いだろう。おまけに、将来のそこそこの生活ならば保証されているも同然だ。だけれども、息子の意思は固かった。涙ながらに訴えられたのかもしれない。最終的には、息子を好きな道に行かせてやろうと決断したわけだが、しかしどうせ「田は一代」なのだとあきらめるまでには、どれだけの懊悩があったことだろう。このような親子は、とりわけて敗戦後十年くらいまでは多かったろう。私の友人のなかにも、高校受験を断念した者が何人かいる。いまでこそ中学の同窓会で会うと笑っているが、当時はきっと深夜に布団をかぶって、ひとり泣いたのだろうな。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004)所載。(清水哲男)




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