笂。O句

February 2522005

 亀鳴いて全治二秒となりにけり

                           岩藤崇弘

語は「亀鳴く」で春。平井照敏の解説。「春の夜など、何ともしれぬ声がきこえるのを、古歌『河越しのみちの長路の夕闇に何ぞと聞けば亀の鳴くなる』(為兼卿)などから、亀の声としたもので、架空だが、春の情意をつくしている」。さて、掲句。さあ、わからない。わからなくて当然だ。現実的なことが、何も出てこないからだ。でも、なんとなく可笑しい。後を引く。何故なのか。おそらくそれは理解しようとして、具象的な「亀」を唯一の手がかりとせざるを得ないからだろう。だからこの句では、鳴くはずもない亀が本当に鳴いたのだと思わせられてしまう。「ええっ」と感じた途端に、「全治二秒」と畳み掛けられて、何が全治するのかなどと考える暇もなく、「なりにけり」と納得させられるのである。ミソは「全治二秒」の「二秒」だろう。一秒でも三秒でも極度に短い時間を表すことはできるし、一見「二秒」の必然性はないように見える。が、違うのだ。「二秒」でなければならないのだ。というのも、一秒や三秒では、ほんの少し字余りになる。字余りになれば、読者が一瞬そこで立ち止まってしまう。立ち止まられると、畳み掛けが功を奏さない。四秒でも駄目、次は五秒とするしかないけれど、これでは即刻全治ではなくなってしまう。間延びしてしまう。「二秒」だから、読者に有無を言わせない。なかなかのテクニシャンぶりだ。きっと良い句なのだろう。「俳句」(2005年3月号)所載。(清水哲男)




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